親鸞聖人の生涯

〜『顛倒』連載版〜

 第57回

桜

 関東の地にはやがて、性信(しょうしん)を代表する横曽根門徒や真仏(しんぶつ)顕智(けんち)を代表とする高田門徒、順信を代表とする鹿島門徒というような、親鸞からの直接の教えを受けた門弟たちを中心に、念仏に行きつ人々の集いが生まれていった。その数は数千人以上であったともいわれ、「親鸞聖人門侶(もんりょ)交名牒(きょうみょうちょう)」には、関東の門弟たちの名前が300人以上挙げられている。そして、その中には『歎異抄』の作者として知られる唯円(ゆいえん)の名前も含まれている。

 門弟たちは、毎月25日の法然の命日になると集まり、念仏の教えを確かめあった。 それはまるで、「承元(じょうげん)法難(ほうなん)」で失われた、かつての吉水(よしみず)の共同体を受け継ぐ念仏者の僧伽(さんが)(※1)のようであった。
 このような万党の門弟たちを、親鸞は「わが弟子」ということはなかった。

   専修念仏(せんじゅねんぶつ)のともがらの、わが弟子ひとの弟子、という相論(そうろん)のそうろうらんこと、もっとのほかの子細なり。親鸞は弟子の一人ももたずそうろう。(略)ひとえに弥陀の御もよおしにあずかって、念仏もうしそうろうひとを、わが弟子ともうすこと、きわめたる荒涼のことなり。

−−−【『歎異抄』第6章より】−−−

 

 ○<住職のコメント>

 私たち真宗大谷派の信仰運動を「同朋会運動」と呼びますが、 この名前はもちろん親鸞さまが、大切にされた「御同朋御同行」からきています。

 「同朋」とは「同じく萌え出ずるもの」という意味で「みな同じ大地に生える木や草だ」という事です。人間は、すぐに葉の色や、枝ぶりなどを比べ合い、こちらが良いとか、あちらが優れているとか、優劣をつけ、それを上下として、一喜一憂して憂いに、閉ざされてしまい、その全てを支える、「大地」があることを、忘れてしまいがちなのです。

「同朋」とは「大地在り」の呼び声でもあります。それは当然「弟子一人も持たず」につながります。もちろん門弟は皆、親鸞を師と仰いでいました。親鸞もまた法然を生涯の師と仰いでおられました。しかし親鸞はここで、あえて「弟子を持たず」と言うのです。厳しい言葉です。もちろんそれは「同じ大地に生える朋(とも)だ」ということです。 が、そこには、師ー弟子という関係を上下関係にしてしまう人間の煩悩の問題が見据えられています。先生と言われて舞い上がってしまう心のすき。弟子と言って座り込んでしまう怠慢です。

 「同朋」という大地、原点を確認した親鸞は、さらにそこで大地に足を据えしっかりと歩むことを、要請します。それが「同行」です。人間は原点を確認しても、またそこに依存します。考え言うだけのものになりがちです。そのように座り込む私たちに向かって、親鸞は「行動せよ」と、「阿弥陀仏の願いを我が願いとし、浄土を願って生きよ」 「真実に生きよう」と「ただ念仏」の一言に集約して、「一番低いことが、一番すごいのだ」と、私たちの常識を破壊しつつ促して下さっているのです。  

―――以上『顛倒』2013年3月号 No.351より―――

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