親鸞聖人の生涯

〜『顛倒』連載版〜

 第28回

 
 4月から、法然さんや親鸞さんが、流罪にされた切っ掛けとなった、当時の仏教界を代表する、 奈良の興福寺から朝廷に出された興福寺奏状を読んでいます。6月は第二と第三です。


興福寺奏状(こうふくじそうじょう)

第二 新像を()す、とういうあやまり
最近あちこちで専修念仏の人々がもてはやしている絵図(えず)は、大変けしからぬものです。
ミダの救いの光が専修念仏者にだけ照りつけ、同じその図の中に描かれているほかの行の人々には、その光がそれてまったくあたらない。
そのように、わざと描かれているのです。

第三 釈迦(しゃか)を軽んじる、とういうあやまり
専修念仏者はミダ仏だけ信じて、仏教徒にとっていちばん肝心の釈迦牟尼仏図(むにぶつ)を軽んじています。

古田武彦著 『親鸞 人と思想』より



 ○<住職のコメント>

瑞興寺所蔵 親鸞聖人御絵伝
瑞興寺所蔵 親鸞聖人御絵伝
第二は、新像を図する失。
 佛画は仏教の伝統の中で、とても大切なものでした。 現代ほど文字による伝達が多くない時代ですから、絵画のメッセージはより大きかったのです。 有名なシルクロードの敦煌の壁画や、日本でも古墳の壁画とかを見れば、その重要さがよく分かります。 浄土教の伝統の中でも、阿弥陀佛の来迎図や二河白道の図などが有名です。 それらの大切な伝統に対して、法然さんの一派は、新しいそれも、 阿弥陀佛を信じない人たちをないがしろにする図画を用いたのですから、当時の仏教界は、とても驚いて批判したのです。
「他の人たちは救われない」というのは、現代から観ると、少し勇み足のような感じを受けます。 が、「あれもこれも」と思ってしまいがちな私たちに対して、「ただ南無阿弥陀仏」の教えをシンプルに伝えようとされたのでしょう。

第三は、釈迦を軽んじる失。
 これも「ただ南無阿弥陀仏」を強調しすぎたことに対する批判です。 しかし念仏者に、お釈迦さまが不要かというと、そうではありません。 救い主としての阿弥陀さんと教え主としてのお釈迦さんという位置づけが明確なことが、親鸞さんの浄土真宗の特徴です。 これを「二尊教」と呼び、とても大切な概念なのです。
一般に、人々が信じやすいのは、救主と教主が同じである「一尊教」で、とても分りやすいのです。 目の前の人が救ってくれるのですから。オウムの麻原なんかはこれですね。 でもこれでは、その救いの方向がはっきりしない、というか、間違ってもチェックが無いのです。 浄土真宗は「二尊教」です。


―――以上『顛倒』2010年6月号 No.318より―――

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