親鸞聖人の生涯

〜『顛倒』連載版〜

 第44回

 その年の十月、 聖人は田舎の人々に教えを伝えるために関東の草深い土地を目指すことを思い立ち、下向いたしました。 途中、伊勢神宮に参詣しましたが、その折、桑名御崎というところに一泊されました。 その土地の漁師が申すには「世の中に仕事はいろいろあるのに、殺生にたずさわる罪深い仕事をする身になってしまい、 宿業だとしても恥ずかしく思います。このような罪の身で助かるのでしょうか」と嘆いて申しました。   聖人はにっこり微笑んで「無智の人が生半可に聞きかじるのは、往生にとってたいへんな障害です。 弥陀の本願には、善人を好まず悪人を嫌いません。 あらゆる人々が、ただ信じて念仏を称えて往生を願えば、そのまま助けるとの誓いなのです。 もし機の善悪を問題にするならば、今の世では千万の中に一人さえも助かる者はいません。 ただそのまま一途に本願をたのむ人こそ、往生決定のする人なのです。 唐の善導大師や法然上人は、天下のに並ぶ人なき智者でしたが、 いずれも智慧・才覚を捨てて愚痴・無智の身にかえり極楽を願いました。 罪をいうならば五逆十悪の者でも往生するのです。 また機をいえば東西も分からぬ無知の者も摂取にあずかるのです。 誰がこの教えを信じないでいられましょうか」と懇切に勧められたので、漁師たちはたちは二心ないのない信者・・・(以下略)  

−−−【親鸞聖人正明伝】より−−−


    生きているもののいのちをうばうことである、これは猟師というものである。 沽(こ)とは、もろもろのものを売り買いすることである。これは商人である。 これが下類(げるい)といわれているのである。 「能令瓦礫変成金(のうりょうがりやくへんじょうこん)」とは、能はよく、令はさせるという。 瓦はかわら、礫は石ころという。 変成金とは、変成はかえてしまう、金は黄金(こがね)という。 かわら・石ころをかえて黄金(こがね)にしようとするようなものであると、たとえておられるのである。 猟師・商人、およそ生活に身を労するわれらは、みな、いし・かわら・つぶてのようなわれらである。

−−−【唯信鈔文意】−−−


 ○<住職のコメント>

瑞興寺所蔵 親鸞聖人御絵伝
瑞興寺所蔵 親鸞聖人御絵伝
 さぁいよいよ、関東へ向かう親鸞ですが、今月の文章のようにな、 事細かな物語が描かれている事が、『正明伝』を後世の戯作であるとする説の一つの根拠となっています。 しかし、それなら何故、越後の流罪時期との物語が無いのかと、私は思います。 戯作ならそれも創ればいいのですから。
 下は、親鸞の著作『唯信鈔文意』ですが、このような教えを、親鸞がわざわざ説くのは、 漁師や商人といった、当時、穢れた仕事とされていた漁師や商人からたちから、 まさに、この物語のような問いかけをがあった、それらに応えるために、 このような教えが説かれたのだとと、思うのです。

 法然、親鸞の素晴らしさは、それまで位置の「できる」人たちだけのもので、 あった「仏の救い」を全ての、あらゆる民衆に解放したことです。 それが「ただ南無阿弥陀仏」の教えです。 「他者のできないことができる事が素晴らしい」というのが私たちの常識ですが、 法然、親鸞は、そんな常識を完全にひっくり返したのです。 「みんなが誰でもできることだから素晴らしい」と。 出世した公家や武士たちは、自分のやってきた罪深い行いにおびえて、極楽浄土を願って、 宇治の平等院を建てたり、金閣寺のを建てたりしたわけですが、 そんな大層なことができなくとも「ナンマンダ仏」と口にするだけで、 そこに「声として現れた阿弥陀仏が、おられるのだ。全く同じなのだ」と、 どのような者にも「仏の救い」を保証し、「いつ、どこの、誰」であっても、 「選ばず、嫌わず、見捨てない」生き様を教えられたのです。

―――以上『顛倒』2011年12月号 No.336より―――

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