親鸞聖人の生涯

〜『顛倒』連載版〜

 第1回

瑞興寺蔵 親鸞聖人御絵伝01
瑞興寺所蔵:親鸞聖人御絵伝より

 親鸞は、平安時代末期の承安三年(1173)藤原氏の一末流、日野有範の子として 生まれた。有範は一時、官職についたこともあったが、当時すでに宇治にほど近い 三室戸に隠栖していたと伝えられる。

 私という人間が生まれたということは、私という人間のいとなみが、この世ではじまったことを意味する。そのように生まれるということが「はじまる」という意味であるならば、生まれない前はどういったらよいであろう。それは普通考えないわけであるが、 はじまる前は、はじめのない世界であって、ある意味では無限の私といってよい。
 それでは、私なるものは生まれてから死ぬ時まで、この無限の世界からはなれて 浮遊する存在であろうか。私たちは、時としてそのような感情におそわれることが ある。しかし冷静に考えてみれば、私という人間は、存在するかぎり無限をせおって いるのであり、存在しなくなっても無限を離れることはありえないのである。

―――東本願寺刊『親鸞読本』より ―――

           

 ○<住職のコメント>

 親鸞聖人は、藤原氏の流れをくむ、日野氏一族の長男として誕生された。ちなみに、 浄土真宗のお坊さんの名前に日野姓が多いのは、そのためである。「下流貴族の生まれ」であるとされてきたが、最近の研究では、父の日野有範は、宮廷では「従五位」くらいまで出世できる家柄だったようで、「中流貴族の出身」くらいが適当な表現かもしれない。長男であるのに家を継がず、九歳の時に出家されることから、父や母が早くに亡くなられたのだとも言われている。

 いずれにせよ「人と生まれて生きる」ことに、その父母や回りの環境は大きな 影響を与える。いや影響どころか、環境、状況を「私」として生まれてくると 言っても過言ではない。それを仏教では「身土不ニ(しんどふに)」と教える。

「身(この私)」と「土(その持つ環境)」は分けられないものだということである。

 現代日本の首相にも、祖父が首相、父が外相という方がおられて、急に責任を 投げ出されたが、まさにその環境が故に、首相にもなれたのだろうと思う。
 誰にとっても、それぞれの環境を引き受けて、この「私」がどう生きるのかが、 大きな「課題」として与えられているのである。

―――以上『顛倒』07年8月号 No.284より―――

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