親鸞聖人の生涯

〜『顛倒』連載版〜

 第17回

建長二年文書高田専修寺蔵
建長二年文書高田専修寺蔵

建仁(一二〇一)辛酉三月十四日、ただちに法然上人の弟子となりましたが、 六角堂への百日参籠はまだ日数が残っていたので、毎日休みなく通い続けました。 建久九年の正月、赤山明神での出来事「功徳天女のお告げ」のことが、まだ心にかかっていたからです。 はたして四月五日申甲の夜五更(午前三時から五時)、霊夢を授かりました。 その夢想の記文を拝見すると、

 六角堂ノ救世観音菩薩顔容端厳ノ聖僧ノ貌ヲ現ジタマヒ、
 白衲ノ袈裟ヲ著服セシメ、
 広大ノ白蓮華ニ端坐シテ、善信ニ告命シテ宣ハク。

  行者宿報設女犯(行者宿報ニシテ設ヒ女犯ストモ)
  我成玉女身被犯(我玉女ノ身トナリテ犯セラレン)
  一生之間能荘厳(一生ノ間ヨク荘厳シテ)
  臨終引導生極楽(臨終ニ引導シテ極楽ニ生ゼシメン)

 救世菩薩コノ文ヲ誦シテ宣ハク、是我誓願ナリ、善信コノ文の意ヲ一切群生ニ説聞シムベシト云々。  是時善信、告命ノ如ニ数千万ノ有情ニコレヲ説聞シムルト覚テ、夢サメオハリヌト云々。

この夢告については心中深く秘めて、口外したことはありません。 「夢想の記文」というのは、親鸞聖人御真筆の『夢想記』一巻のことであります。

―――親鸞聖人正明伝より―――

           

 ○<住職のコメント>

   親鸞聖人の浄土真宗の一番の要(カナメ)である。第三番目の夢告、 いわゆる『女犯偈』(にょぱんげ)です。『犯』という字が印象がキツイものですから、 ギョッとしますが、この偈文は、公式文書である『御伝鈔』にも取り上げられている、大切な文です。 このお告げがキッカケとなって親鸞様の結婚につながり、 坊さんとして初めて公に婚姻されてことが浄土「真」宗を創っていったのです。 それがなければ『浄土宗善信派』であったろうと言われています。初めて「教え」が庶民のものになったのです。

―――以上『顛倒』09年5月号 No.305より―――

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