親鸞聖人の生涯

〜『顛倒』連載版〜

 第20回

 月輪殿下が重ねて言うには「おっしゃるとおり、 念仏の功徳に差別がないのであれば弟子の中より一人、一生不犯の僧を差し向けて頂いて末代の在家の者が、 男も女も差別なく往生できる模範にされたらどうでしょうか」と申しました。
 法然上人は少しも驚くことなく「なるほど、そのとおりです。 では綽空は下を向いたまま、涙にくれて返事もできません。 しばらくして申すには「私は公家の家に生まれましたが、慈円僧正のもとで出家して仏弟子となりました。 長年修行した比叡山を下りて、専修念仏の門に入ることになった経緯は、聖人もよくご存知のはずです。 数百人の弟子の中から、私一人選ばれて、兼実公の仰せを受けることになろうとは、仏天も私を見捨てたのでしょうか。 面目ないことです」と言うなり、黒衣の袖をしぼるほど泣きました。
 ややたってから、法然上人が言われるには、 「あなたを選んだのは、理由があります。あなたはj今年の初夏、救世菩薩の端夢を見たはずです。 あなたの嘆きの元をたどれば、その観音にこそ原因があるのです。 綽空は法然上人の命令であるため反対もできず、 また信空聖人や聖覚法印などの智慧ある兄弟子の勧めがあったためにやっと決心がさだまりました。

―――親鸞聖人正明伝 より―――

           

 ○<住職のコメント>

瑞興寺所蔵 親鸞聖人御絵伝
瑞興寺所蔵 親鸞聖人御絵伝
月輪殿下(関白九条兼実)が師の法然聖人に「女犯と念仏の功徳」について問いただす場面です。 「念仏ができれば、女犯してようがしていまいが、どちらでも違いがない」という法然さんの答えに、 兼実はお公家らしい、しつこさで食い下がり、「それでは弟子の一人と結婚させて、その証明をしてほしい」と言うのです。 そこで法然さんは、綽空(親鸞)を指名して「結婚せよ」と申し渡します。 親鸞さんは、僧侶に禁じられた女犯を犯すことになる指名に困惑するのですが、 師の命令でもあり、また以前の六角道での堂での夢のお告げ(女犯偈)もあって、しぶしぶ結婚をj決意されるのです。
 この場面は「玉日伝説」と呼ばれるエピソードで、兼実が自分の娘である玉日姫を綽空(親鸞)に嫁がせることになっています。 歴史的に見て、兼ね実にコノ物語をに当てはめる娘がいないことから、この物語がす全て創作であるとする意見が強いのですが、 私はそうは考えません。親鸞さんの長男である善鸞の生まれ年は、越後流罪の前であることは確認されており、 京都で誰かとすでに結婚していて、流罪の後に妻であることが証明されている「恵信尼」と結婚したことは明白だからです。 私は、玉日は兼ね実に縁のある公家の娘で、恵み信じるはその付け人ではなかったかと思います。 そして越後流罪のとき玉日は健康がすぐれないこともあって同行せず、お付きの恵み信が越後の豪族の娘でもあるので同行し、 越後で結婚したよいとういうのが、自然ではないかと思っているのです。

―――以上『顛倒』09年8月号 No.308より―――

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