親鸞聖人の生涯

〜『顛倒』連載版〜

 第47回

現世利益和讃
現世利益和讃

 四十八歳の時には、鹿島・行方・奥郡・南庄・国府・柿岡・羽黒・小栗などを教化されました。 鹿島近くの鳥巣という里に寺がありました。その寺の墓から女の幽霊が出て人を困らせていました。 寺の僧が法力を尽くしても、まったく効き目がありませんでした。 他の僧を招いて種々の行法を行っても効果がありません。手立てのつきた僧は、ついに聖人のもとを訪ねて
「私の寺で起きている災いの原因は、山賊悪八郎という者の墓なのです。 四十年来このような災いが続いて、今は訪れる人もなく寺はすでに魔の住処となりました。 どうかお力をお貸し下さい」とお願いしました。聖人は「阿弥陀如来の大悲は五逆の者をも捨てません。 まして盗みや殺人の罪の者を捨てることがありましょうか。仏の大慈悲の力ははかり知れません。  どうして掬わないことがあるでしょうか」
と言うと、翌日その寺に行き東国の習慣を用いて、 小石を集めてそこに三部経の文字を書き、墓に埋めて五日間度給して念仏を称えました。 四日目の夜半、墓の裏から声が聞こえてきました。
「私は地獄の重い苦を四十年うけてきました。 たまに人間に取りつくと、苦しみから逃れることができたので、数々の妖しいことえおやってきました。 けれども今、大善知識の法力によって、ただちに安楽浄土に往生いたしましました。今からは災いは一切起こりません」。
その声を聞いた人たちは恐怖で身の毛がさかだちました。その後ははたして幽霊の一度も現れませんでした。

−−−【親鸞聖人正明伝】−−−


 ○<住職のコメント>

 このような説話が、『正明伝』は史実でないとする根拠になっている。
「小石にお経を書いて埋め、親鸞が読経念仏したら、幽霊が消えた』という記述をウソだと言うのだが、はたしてそうだろうか。 上記、親鸞の『現世利益和讃』を見てほしい。まさにこの説話のようなことを述べているのではないか。 親鸞が、現実に幽霊に困っている人に「それは迷信だ」とか「そんなことは有り得ないことだ」と切り捨てるような、 冷たい人だとは、私にはとても思えない。  現代でさえ、幽霊に困っている人は、たくさんいる。 まして、親鸞の時代なら、もっと多くの方がいたであろう。彼も、夢のお告げを信ずる、中世の人間なのだから。

 『正明伝』は偽作だとする見解は、近現代の「偏った」眼から中世を見ていることだと思う。 事実は、この説話のように、南無阿弥陀仏が具体的に人々の悩みや苦しみを、取り除いてくれていたのだと、私は思う。 そしてそれは実は、現代でもそうであって、南無阿弥陀仏という謎の言葉を、それを唱えることで、 何か心が落ち着いてくる、まさに、私の思いや計らいを超えた、と同時に、 全ての物事の一番低い所に通底する、謎の言葉を頂いていることが、私たちにとって一番有難いことであるのだ。


―――以上『顛倒』2012年4月号 No.340より―――

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