親鸞聖人の生涯

〜『顛倒』連載版〜

 第10回

瑞興寺の雪景色
瑞興寺の雪景色

建久九年《二十六歳》範宴(親鸞)は新春の年賀の儀式を終えて、 京都の町から比叡山に帰るときのことでした。 途中、赤山明神(京都東郊の神社)に立ち寄り静かに読経をしていると、 垣根の陰から一人の女性が現れました。

 女は「私も以前より比叡山への参詣を願っていましたが、やっと今日思い立つことができました。 ぜひ一緒に連れて行ってください。」と真剣に訴えました。
範宴は興ざめして「貴方は女性だから知らないのでしょうが、比叡山は天台の修行の霊峰です。 五障の雲の晴れない人《女人》は登ることがゆるされません。 止観三密の学問は深遠をきわめ、三従の霞に迷う人《女人》には無理だからです。 法華経の中にも女人は汚れており、仏法の器でないと説いています。 残念ですがお帰りください」と言うと、女性は範宴の衣にすがり泣き泣き訴えて、 「なんと頼りのない言い方をするのでしょう。伝教大師(比叡山を開いた僧、最澄)は智慧すぐれた方であるのに、 『一切衆生悉有仏性』の経文をご覧になっていないのでしょうか。男女は、人と畜生とに分けることのできないものです。この比叡山には鳥や獣にいたるまで、女というものは棲んでいないのでしょうか。 円頓の教えから女人だけを除くならば、本当の円頓ではありません。 十界の止観も男子に限るならば、十界皆成は成就しないことになります。  『法華経』には女人は仏法の器ではないと説きながら、竜女には成仏を許しています。」 
                  

―――親鸞聖人正明伝より ―――

           

 ○<住職のコメント>

 親鸞《範宴》さまが出会った女性に、仏法でやりこめられるという、 おもしろいエピソードである。後世の作文のように言う方も多いが、私は、そうは思わない。 後年、29歳で受けられる夢告『女犯偈』に観られるように、親鸞さまが、 仏教のそして世間の女性差別の問題を、大きな課題として抱えておられたことは明らかであるからだ。 そして、そのように課題をもたれたきっかけとして、 単に本の中に書いてあるとか世の中がそうであるといったことではなく、 具体的な個人的な経験があったのではないかと十分に推測できるからだ。

 「女人禁制」の課題は、女性知事だった大阪の大相撲でよく問題になったように、 未だにおおきな課題として残っている。仏教もそれに大きく力を貸してきた。 それはこのエピソードでの親鸞さまの言葉にしっかり表れている。 それに対して「比叡山の鳥や獣にメスはいないのか?」と明解に反論する一人の女性。 親鸞さまも仏教も「ギャフン」である。 この女性が後の親鸞さまの妻ではという話もあり、それなら「京都の町で見初めた親鸞さまを待ち伏せしていたのではないか」などと、 話は楽しくふくらんでいく。       

―――以上『顛倒』08年8月号 No.296より―――

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