親鸞聖人の生涯

〜『顛倒』連載版〜

 第41回

親鸞聖人御絵伝
瑞興寺所蔵 親鸞聖人御絵伝

親鸞聖人の越後時代を考えるとき、長野にある善光寺をはずすことはできないと、私(住職)は思っています。 善光寺は、現代も多くの信者、観光客を集めるお寺で、瑞興寺のご門徒にも時々、 「善光寺で頂きました」という「法名」をお見せくださる方がおられて、住職としては複雑な思いを持つことがあります。 (この10月、南御堂で「法名」を頂ける機会がありますので、ご希望の方はぜひご相談ください。)

  



 ○<住職のコメント>

 さて、善光寺と親鸞との浅からぬつながりを伺わせるものとして、今も、善光寺の境内には、 親鸞の銅像が建ち、本堂には、親鸞自らがお供えしたと言い伝えられる「松の木」が、お飾りされています。 門前には、親鸞が逗留したと伝えられる宿坊がもあります。

 当時、親鸞が流された、越後の国府は、今の直江津の辺りで諏方、長野の善光寺との距離は約80キロ、当時なら二日間の距離です。 親鸞の足なら、十分行き来されたと思われます。その途中にある、山伏の修行で有名な戸隠山にも、親鸞の伝説があります。
善光寺の本堂に入ると、正面に金色の大きな壁があり、多くの曇に乗った仏様が刻まれています。

 典型的な「来迎佛(らいごうぶつ)」です。
「来迎」とは俗に「おむかえ」と言い、仏教の、とりわけ浄土教の真髄、この教えがあるからこそ、 民衆に受け入れられたといっても言い過ぎではない教えです。 すなわち、私たち衆生が、この世のいのちの終わりに臨んだとき、阿弥陀仏が観音菩薩、勢至菩薩を伴ってお迎えに来てくださり、 浄土への迎えを摂ってくださる。という教えです。

 善光寺だけでなく、多くのお寺に来迎佛はおまつりされています。 雲に乗った三人の仏さまがおられたら、それが「来迎佛」です。 京都の鞍馬寺にも、もっとその置くの周山のに建つ、枝垂桜で有名な常照皇寺にも、素敵な「来迎佛」がおまつりされています。 さらに、親鸞の大切にされる聖徳太子にも、善光寺の阿弥陀仏との深い関係があります。 一部の学説に、「親鸞は、各地に阿弥陀仏の教えを伝える善光寺聖(ひじり)だった」という説がありますが、 私はその説に賛成です。

 8月号でも述べたように、「親鸞が農耕生活をしていたと」といった見方は間違っていると思います。 ここで述べたような、多くの傍証、そして、聖徳太子と善光寺如来と親鸞のつながりを見れば、 また、都で修行を積んだ親鸞を、民衆がほって置かないだろうことを思うと、 そこに、阿弥陀仏を御簾に納めて背負い、各地を歩いて、其処此処に、阿弥陀仏の教え、 南無阿弥陀仏を耐えて伝えて巡る、念仏聖(ねんぶつひじり)としての親鸞。 大地に足をしっかりと踏みしめて歩き続ける、愚禿(ぐとく・おろかな禿ぼうず)親鸞の姿が浮かんでくるのです。  

―――以上『顛倒』2011年9月号 No.333より―――

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