親鸞聖人の生涯

〜『顛倒』連載版〜

 第14回

建長二年文書高田専修寺蔵
建長二年文書高田専修寺蔵

 二十八歳の十月、三七日の間、根本中堂と山王七社とに毎日毎夜参詣して、心をこめて祈願しました。 これは末代有縁の法と、真の知識とを求める祈誓です。 同じ年の冬、睿南の無動寺大乗上院に籠もり、ひそかに行法を修することになりました。 これも三七日でしたが、結願の前夜、四更(午前一時から三時)の時刻に、妙なる香りが漂う中、 如意輪観音が出現して示現して「汝の願いは今まさに成就しようとしている。 我が願いもまた成就する」というお告げを得て、歓喜の涙にむせびました。 このお告げによって、翌年の正月から六角堂へ、百日の日参を思い立つことになりました。

 二十九歳、建仁元年(一二〇一)辛酉正月十日、睿南の大乗院でひそかに大誓願を立てて、 京の街中の六角堂・如意輪観音の下に百日の参籠を始めました。 険しい赤山越えを毎日行き返りして、どのような風雨の日にも怠りなく、 雪霜のときも気にかけずに、まことに有難い熱意をもって通っていました。 この一途な行為に対して霊験があったのです。偶然にも安居院聖覚法印に会う縁に恵まれ、 源空上人の素晴らしさをくわしく聞いたのでした。「渡りに舟」とはこのことでしょうか、 ついに吉水の禅坊を訪ねることになりました。これもすべて六角堂の如意輪観音の、 衆生を利益する方便のお蔭に違いありません。

―――東本願寺刊『門徒読本』より ―――

           

 ○<住職のコメント>

 親鸞様は、29歳で「雑行をすてて本願に帰す」と決断されるまでの、 人生の節目節目で3つの夢のお告げを受けられます。 今月はその2つ目28歳比叡山の大乗院でのものです。 1つ目は19歳の時、聖徳太子の御廟に参られて「あなたの命は十数年です」と告げられ、 その9年後もうすぐお告げの10年が来るときに「汝の願いは今まさに成就する」と告げられて、 20年に渡った。比叡山での修行生活をすてて山を降りる決断をされるのです。 ここには親鸞さまの問題の深まりと苦悩の10年を見てとることができます。 19歳の時に聖徳太子にすがられた時に既に比叡山への疑問はあったわけです。 法然上人の「ただ念仏」の教えをも情報としては知っておられたはずです。 しかし決断までには10年の時間を必要としたわけです。 本当に大切なことをじっと心の奥で暖め続けておられた親鸞さまの気持ちと 「出会い」の不思議を思います。

―――以上『顛倒』09年2月号 No.302より―――

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