まつりごと<摂政>(1)

〜「弥勒(みろく)」−56億7千万年先の世直し〜

 皇位は太子の叔母炊屋姫(かしきやひめ)が継承した(推古元年・五九三)。日本最初の女帝、推古(すいこ)天皇である。太子は求められて摂政(せっしょう)として政務の中心に立つこととなった。
 父、用明天皇との別離以来、絶え間のない悲しいできごとは、太子をしてわずらわしい人間関係をのがれて一人しずかに生きたいと願わしめたという。しかしあえて太子は女帝の懇請をうけ、身を時代の難局に投ずる道をえらばれたのである。時に二十歳であった。
 太子が摂政としてあえて政務の中心にたつ決意をされるまでには、ながい惑いもあったであろう。とくに政権の座につくことは、人間の欲望がうずまいているただなかにたつことを意味する。おそらく太子の心のなかには、幼いときから身をもって体験してこられたそのみにくい場所をはなれて、きよくしずかに生きたいという願いがつよかったであろう。しかしそのように、みにくい場所をはなれてひとりきよくしずかにすごせればそれでよい、というような気持にとどまっておれないものが、心のなかに芽ばえていた。人間というものを根底から問いなおさずにはおれないようなものが太子をつよくうごかしていたのである。(東本願寺発行「太子讀本」より)

       皇太子聖徳奉讃(こうたいししょうとくほうさん)   
       
       愚禿善信作
(ぐとくぜんしんのさく)

          
          仏智不思議の誓願を/聖徳皇のめぐみにて
          
          正定聚に帰入して/補処の弥勒のごとくなり


          無始よりこのかたこの世まで/聖徳皇のあわれみに
          
          多多のごとくにそいたまい/阿摩のごとくにおわします


          久遠劫よりこの世まで/あわれみましますしるしには
          
          仏智不思議につけしめて/善悪浄穢もなかりけり


          (愚禿善信とは親鸞聖人の別名)

                   
      

<住職のコメント>
 上に紹介したのは、親鸞聖人の作られた、「聖徳太子和讃」の一部である。親鸞さんは、多くの数の和讃などで聖徳太子を讃えとても大切にされているが、そのポイントがここにある「弥勒」と「善悪浄穢」である。
 「弥勒」とは弥勒菩薩のことで、お釈迦さまの次に仏陀になる方だと仏典には書いてある。それは何時か。お経によると「五十六億七千万光年先」となっている。これはいかにも神話的表現だが末法の先の未来に必ず出現する仏ということで、いわゆる「世直し」を表現する菩薩である、「現世はあまりに生きづらい」その時人々は、「世直し」を願った。親鸞さんもそのような「仏法によってこの日本(和国)を治めよう」となさった聖徳太子のお仕事に大きな意味を感じておられるのである。
 

―――以上 『顛倒』04年6月号 No.246より―――

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