青春の環境 (2)

〜空しく水の流れのうえに文字を書く〜

 太子がその少・青年時代をすごされた環境は、まことに凄惨(せいさん)なものであった。権力の座をめぐって肉身がたがいに血みどろになってあらそい、人はたがいにだれをも信ずることができないような日々であった。
 たとえば、権力の座をめぐっての凄惨な戦いの立て役者の蘇我馬子は、政敵物部守屋を殺し、東漢直駒(あずまのあやあたいこま)の手によって崇俊天皇弑逆(しいぎゃく)の罪までをもおかしたが、しかも同時に彼は、仏殿をつくり仏塔をたてるなど、仏教流布にも大きな力をつくしている。血刀と信仰と、その二つをあわせもっていた馬子の心の底にはいったいなにがあったのか。中国の善導(ぜんどう)大師は、人間の日常のすがたを「もろもろの欲望を貪(むさぼ)り求める心はつねに人間のなかに流れていて断えることがない。たとえ清い心を発(おこ)すことがあっても、水の流れに文字を書くようなものでしかない」と表現されているが、馬子の姿はまさしくそのようなものであった。清い心、つまり宗教心がまったくないというのではない。ただたとえ宗教心にめざめることがあっても、それはちょうど水の上に書かれた文字が書かれたつぎの瞬間に消えさるように、すぐに霧散してしまう。つねに外界・環境のさまざまの事柄に心がうばわれ、気が散って、なにごとにも徹底することがない。闘争も信仰も、そのときそのときの状況にうごかされてのことであって、ほんとうには彼の心を傷つけることも、豊かにすることもないのである。それはけっして蘇我馬子だけ、あるいはまた古代のひとびとだけのことではない。なにごとにもほんとうには生きがいを感じることができず、つねに心の底にふかい退屈感をもてあましている現代のわれわれもまた、空(むな)しく流れのうえに文字を書いているものにほかならない。ただわれわれが退屈として感じているものを、古代のひとびとはそのときそのときの心のおもむくままにひたすらにもえるというかたちで生きていたのにちがいない。(東本願寺発行「太子讀本」より)


<住職のコメント>
 先日、「歎異抄をインターネットで捜していたら、瑞興寺のホームページに出会った」と、ある若者からメールが届いた。「いろいろあって、半年程、仕事を休んでじっくり考えてみたい」との事、話の様子では、精神安定剤も飲まれているようだった。「とにかく一度お会いしましょう」と数日後、『坊主バー』でお会いした。会って驚いたのは、彼が快活な、活動的な青年で、市民運動のリーダーとして活躍している方だった事だ。自分勝手に「引きこもり」的な人間を想像していた僕は、そのギャップにビックリした。と同時に現代の深い問題も感じたのだ。単に「クライ」とか「アカルイ」といった単純なものではないと。そこに何があるのか。市民運動が、まま挫折し、政治運動がまま腐敗していく。そこに親鸞のいう「善人根性」があるのではないか。「善い事を積み上げて何とかしよう」とする「落とし穴」が。「自身と世界を信知する、我が信念」の中で「自然と身が動く」事が願われている。
 

―――以上 『顛倒』04年4月号 No.244より―――

前号へ    次号へ

目次に戻る


瑞興寺ホームページに戻る