救世観音(3)

〜仏教はこの娑婆世間において
   どう具体的に表現されるのか

 太子は大悲の人であった。世の人々が病むゆえに我もまた病む、という菩薩の心に生きられた方であった。病んでいる人を気の毒に思い、憐れと思うのではない。もしそういうものなら、その心は単なる同情であり、人情でしかない。もちろんそういう他人(ひと)に同情しうる心、人情というものこそ、人間らしい心であり、それを失えば人間の世界も動物の世界と変わらぬものとなってしまう程に大切な心である。けれどもまた、同情が同情に留まるなら、その働きはまことに狭く弱いものでしかない。それどころか、同情は、同情する人をも同情される人をも共に溺(おぼ)れさせ、堕落させることすらしばしばあるのである。
 大悲の心は私心が捨てきれた心である。病む人を憐れにと思う心ではなく、自分もその人と共に病む心である。その人の病んでいる事実が、理屈を超えて、同じ痛みをもって我が身に感じとれる心である。片岡山で飢人を見守る太子は、その具体的な姿である。四天王寺の四箇院は、その社会的な実践である。また憲法第五条の「財有るものの訟(うった)えは石を水に投ぐるがごとく、乏しき者の訴えは水を石に投ぐるに似たり。是をもって貧しき民は則ち由る所を知らず」という言葉は、悲心からほとばしり出た怒りの言葉である。語るに言葉を持たず、行なうにその力なき者の悲しみを、太子は余さず聞きとり、我が身の悲しみとしてゆかれたのである。(東本願寺刊「太子讀本」より)

【皇太子聖徳奉讃 愚禿親鸞作】
日本国帰命聖徳太子 仏法弘隆の恩ふかし
有情救済の慈悲ひろし 奉賛不退ならしめよ

四天王寺の四箇の院 造建せむとて山城の
おたぎのそまやまにいりたまふ そのとき令旨にあらわせり
<住職のコメント>
 
ここ2年程、読んでいるのは、東本願寺刊の『太子読本』で、聖徳太子と呼ばれた方の生き様を親鸞聖人が、どう見ておられるかという、視線で書かれている本である。昭和41年に発行されている。ちょうど真宗大谷派教団で「同朋会運動」と呼ばれる、信仰再生運動が始まった頃で、初期の同朋会運動のテキストのひとつとして大切にされた。それは、聖徳太子の課題、すなわち、「仏教はどう具体的にこの娑婆世間において表現されるのか」という課題を問題にされていると、私は思う。太子の実践のひとつが四天王寺の四箇院、すなわち、敬田院(学校・養護)・施薬院・療病院(病院)・悲田院(老人ホーム)である。そのようにして仏教は民衆の生活に根付き、そして「いただきます」「ごちそうさま」という言葉に代表されるように、生活全体が仏事となって生きてきたのが、明治までの日本なのだ。

―――以上 『顛倒』07年3月号 No.279より―――

前号へ    次号へ

目次に戻る


瑞興寺ホームページに戻る