救世観音(2)

聖徳太子・親鸞聖人
    の存在を疑う愚かさ〜

 太子の死の知らせに、あらゆる階級の老少男女のことごとくが、これから後誰を恃(たの)みとして生きてゆけば良いか、と嘆いたという。当時太子の言葉を本当に聞き分け、その深い心を理解していた者が果たして何人あったかは疑わしいことである。しかし、人々はその太子の心を、存在を、限りなき暖かさ、安らぎの場として感じとっていたのであろう。
 いつの頃から太子を救世観音(くぜかんのん)と仰ぐようになったかは明らかでない。けれども、たとえば親鸞聖人が「大慈救世聖徳皇 父ノゴトクニオハシマス 大悲救世観世音 母ノゴトクニオハシマス」と讃え、解脱上人(げだつしょうにん)もまた「敬礼太子上宮王 本体救世観世音 大悲弘誓深クシテ 蒼溟海ノゴトクナリ」とうたっていられるということは、太子を救世観音と尊ぶ人々が、広く、限りなくあったことを物語っている。しかも、尊い人として遠くから敬っていたのではない。
 太子が亡くなった時の人々の悲しみを、老いたる者は愛児を失ったように、少幼の者は慈父母を亡くしたかのように嘆いたと伝える書記の言葉や父のごとくおわしますとうたわれた親鸞聖人の言葉は、いかに人々が太子を肌近く、自分たちの生活に密着して感じ取っていたかを物語っている。  (東本願寺刊「太子讀本」より)

【親鸞聖人御和讃】
救世観音大菩薩 聖徳王と示現して
多々のごとくすてずして 阿摩のごとくにそひたまふ



[カット:読売新聞より]

<住職のコメント>
 
今年の正月のテレビで見たが、現代日本史学会
で「厩戸皇子は存在するが、聖徳太子は存在しない」と決められたそうだ。「まだそんな事を言っているんだな」と私は思い、以前あった『親鸞非実在説』を思う。西本願寺の蔵から妻である恵信尼の手紙が発見されるまで、「証拠がないから親鸞はいないのだ」と歴史学会では、それが定説だったのだ。近代の学問というか、人間の理性的判断のおかしさを思う。だって彼らは、一千万人を超える、親鸞を大切に思う人々の存在よりも一枚の古文書、紙切れの方を信じているのだから。今回の聖徳太子の件もよく似たものであろう。なぜなら「聖徳」の名は、亡くなってからの送り名であってそんな名の生きている人はいなかったのはあたりまえの事だし、何より、彼を父や母の如くに慕う、多くの人々がおられた。そして今もおられる事実を無いものとしている。誠に危険な考えである。

―――以上 『顛倒』07年2月号 No.278より―――

前号へ    次号へ

目次に戻る


瑞興寺ホームページに戻る