とつくに(2)

〜ビハーラの原点・四天王寺

 太子は国の玄関・難波に四天王寺を建立して国威の象徴とされたが、その四天王寺は同時に、太子の国家経営の精神を象徴されたものでもあった。とくにその寺内に建立された四箇院、それは太子が仏教に学ばれた慈悲行の実践であった。
 四箇院とは、施薬院・療病院・悲田院・敬田院の四院のことである。施薬院ではあらゆる薬草が栽培され、病に応じて薬が与えられていた。療病院では特に縁(よ)るべのない病人を寄宿せしめて療養させ、また病に冒された比丘(びく・僧侶)を収容していた。悲田院では貧しく孤独な人々に食を与え、健康が回復したものには四箇院の雑事など仕事を与えて働かせていた。そして敬田院は仏教戒律の道場であり、道を弘め教を興す場所として建立されたものであった。つまり施薬・療病・悲田の三院はその命を守り身を養う場所であり、敬田院は心の依りどころを明らかにすることを願いとして建立されたものなのである。言い替えれば、施薬・療病・悲田の三院は敬田院によって支えられ、敬田院より流れ出た精神が三院として人々の上に具体的に働きかけてゆくのである。
 病む人なく、孤独な人、飢えている人のないようにという願いは、病にも孤独にも飢えにも自己を見失うことのない人によってのみはじめて力強く実践されてゆく。自分自身、溺(おぼ)れている人に溺れている他人を助けることなどできないように、自分自身、病や孤独や飢えを畏(おそ)れている人にどうして他人の苦しみをとりのぞくことができよう。敬田院とはそのような、いつどこでどういう状態になってもそのことで自己本来のあり方を見失うことのない心を養う場所であり、真に敬うべき、真に依りどころとすべき道を求める道場なのである。(東本願寺刊「太子讀本」より)
 


<住職のコメント>
 
最近、仏教精神を元として人の生・老・病・死を支える、いわゆる「ビハーラ」活動に力を入れている。その「ビハーラ」の原点がこの四天王寺の四箇院である。本来は、仏の慈悲と智慧を具体的に表現する手足としてお寺は「三院」を持っていた。ところが明治以降三院は、医療法人、福祉法人、学校法人と独立して、頭と手足がバラバラにされてしまった。お寺は手足を失ってダルマさんとなり、頭でっかちな思い込みになってしまい、手足はその根本精神を見失って、金もうけの道具になってしまっている。今こそ別れたものがつなぎ合わねばならない。まさにre-ligion(リーリジョン・バラバラにされたものを再びつなぐ宗教という言葉の[原意])である。ダルマは手足をはやし、手足は頭を再構築しなければならない。それを体現するのが、「ビハーラ」である。いのちを生きるものとしての根本の確認と、その具体的な運動である。
 

―――以上 『顛倒』06年4月号 No.268より―――

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