憲法(1)
〜和(やわらぎ)を以って貴しとなし〜
当時、氏族は祖先伝来の社会的な地位と職業を踏襲(とうしゅう)していたために、文化はいちじるしく形式化し、停滞(ていたい)していた。推古天皇十一年(六〇三)、太子は冠位十二階を制定した。これは冠(かんむり)の色で位階をあらわし、家柄によらない人材登用の道をひろく開いたものである。 そして翌年、太子みずから憲法十七条を製作発布した。その最初に宣言される「和を以って貴(たっと)しとなす」は、人間社会の秩序の要(かなめ)を示したものであり、「篤(あつ)く三宝を敬(うやま)え」は、そのもとになるべき道理をあきらかにしたものである。(東本願寺発行「太子讀本」より) |
「憲法十七条」 聖徳太子作 一に曰(いわ)く。 和を以(も)って貴(たっと)しとなし、忤うこと無きを宗(むね)となせ。 人皆党(たむら)有り、亦(また)達(さと)れる者少なし。 是(これ)を以って或いは君父(くんぷ)に順(したが)わず、 乍(また)隣里(となりさと)に違(たが)う。 然(しか)れども上和(やわ)らぎ下睦(むつ)びて、 事を論(あげつら)うに諧(かな)いぬるときは、 則(すなわ)ち事理(じり)自(おのずか)ら通ず。何事か成らざらん。 |
[現代語訳] 人や物事には優しくやわらかに対処することを大切にし、事をあげつらって争わない事を規範としなさい。 人は皆、似た者で群れるものですし、道理をわきまえている人は少ないのです。だから、先輩や親の言う事を聞かないし、隣の人と争ったりします。しかし、上の者も下の者もやわらかく、物事を話し合って一致点を見出していけば事実と道理がひとつに自然となるのです。できない事などありません。 |
<住職のコメント> さあ有名な「以和為貴」である。この「和」を「わ」と読む人が多いようだが、後半に出てくるように「やわらぎ」と読むべきだと思う。「わ」だと「予定調和に従いなさい」となって、それこそ「長い物に巻かれろ」「赤信号みんなで渡ればこわくない」となってしまい、聖徳太子のイメージと合わなくなってしまう。もしそんな人なら率先して、当時の最先端の理論であった「仏教」を導入することもなかったし、ましてその為に激しい戦いをすることもなかったはずである。ここは下の「現代語訳」にあるように、「やわらかく、ていねいに話し合って、共通点を捜し出していく作業」と取るべきである。でも、現代にも先輩方の忠告に耳をかかさず、近隣諸国と仲違いして、それでもいいと開き直る人が居て、やっかいなものである。また、それが人気が高いというんだから、情けない。 |
―――以上 『顛倒』05年7月号 No.259より―――
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