まつりごと<暦法の制定と国史の編纂>(2)

〜「南無阿弥陀佛」 広く大きく見ようとする営み〜

 また晩年(推古天皇二十八年)、太子は蘇我馬子とともに、「天皇記」「国記」などを編纂(へんさん)した。これは蘇我氏滅亡と同時に焼失してしまい、みることはできないが、「日本書紀」や「古事記」に先だつこと約一世紀、わが国最古の史書であった。おおよそ国史を編纂するということは、国土というものをみいだしたところからはじまるということである。自分がそこにおいて生活しているその国土というものに目ざめることもなしに、国史を編纂しようなどということは考えつきもしないだろう。国土に目ざめたということは、具体的には、おなじひとつの国に生きるものとして、すべてのひとびとを同朋(どうぼう)としてみいだしたということでもある。つまり、国史を編纂するという真の意味は、けっしてただたんに事件を記録するということにあるのではなく、ともに運命をおなじくするものとして、民族の生活を人間らしい、豊かなものにしたいという願いによって、その民族の歩みを綴(つづ)ることなのである。(東本願寺発行「太子讀本」より)
 


<住職のコメント>
 「歴史」というものは、やっかいなものである。この日本でも、つい60年前には、『皇国史観』といって、「天皇は神様の子孫である」とされていた。もちろん、どれほどの人達が、それを信じていたのかは知らないが、現在の北朝鮮が、「将軍様」と言っている、コッケイさを、ただ笑えないものがある。
 その一方で、戦後は、『現人神』を根拠づけていた、『日本書紀』などは、「全てインチキだ」として、全く無視した在り方で歴史が語られてきたが、これもまた、行き過ぎであった。
 このように、本当に歴史は難しい。というか、仏陀(ブッダ)が言われるように「人間に真実なんかありえない」という、『真理』に頷かざるをえない。そしてさらに「だから仕方がない」「どうでもよい」ではなく、「真実を求め続ける営み」が必須であろう。
 そこで『南無阿弥陀佛』だ。「永遠無限なるものこそ真理である」との促しによって、「できるだけ物事を、広く、大きく見ようとする営み」が願われている。
 最近の問題では、首相の靖国神社参拝とか教育基本法の改訂がある。これらも、本当に大きく観て、明治以後だけではない日本の長い伝統を観れば自ずと、答は出る。また相手のある時は、『共同歴史委員会』を創って論議を深める事が第一歩であろう。

―――以上 『顛倒』04年12月号 No.252より―――

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