まつりごと<任那>(2)

〜指(道標)と月(真実)〜

 四天王寺の建立が何年のことであったか、またその直接の動機がなにであったかあきらかではないが、難波の浜からわが国に来る外国のひとびとに国家の威容をしめす目的のあったことはうたがえない。とくに、国土守護・敵国降伏を願いとする四天王(時国天(じこくてん)・増長天(ぞうぢょうてん)・広目天(こうもくてん)・多聞天(たもんてん))の名をもって寺の名とされているところに、太子の願いもおのずから想像されるのである。武力による征服の空(むな)しいことを痛感されるについても、まずわが国そのものを豊かにととのえ、その徳がやがて他国におよぶまでに国土そのものを荘厳(しょうごん)したいという広大な願いが太子のなかにはあったのであろう。
 とくに、「塔をつくることは、その直接の目的は仏舎利を供養することにある。けれども、塔をおこし寺をつくることによってその国土がおのずと荘厳され清浄(しょうじょう)になることは、あたかも浄土の宝樹が浄土を清浄に厳(おごそ)かに飾っているごとくである」という法華経義疏の太子の言葉は、太子の造寺・造塔の意図がどこにあったかをよくしめしている。仏像はみる人の心をおのずときよめやわらげる。そのように、木々につつまれてたつ寺々は、ともすればあらあらしくいらだつひとびとの心を安らぎしずめ、蒼空(あおぞら)にそびえる塔は、そこにたしかな依(よ)りどころのあることをひとびとにつげる。甍(いらか)をもってふかれ白壁をめぐらした寺の姿がどれほど心を豊かにしていたことか。しかも寺はその建物だけではない。そこからは、ひとびとの胸にしみわたるように読経の声がながれてくる。(東本願寺発行「太子讀本」より)



四天王寺

<住職のコメント>
 仏教の有名なたとえ話に、「指と月の話」がある。私達が、夜空で月を捜そうとして、なかなか見つからない。その時、『この方向に月がある』と示す、『指(道標)』が見つかり、その指示に従って月が見つかるという話だ。
 さて、問題はそれからなのである。人間というものは、その時、身近に在る『指(道標)』を讃え、磨き上げる事に夢中になって、月を見ることを忘れてしまいがちなのである。
 その『指』は建物のこともある。仏像や、時には人間である事もある。自分に教えを説き、救いに導いてくれた先生であっても、その人を『神、仏』のようにあがめるなら、その信心は邪信である。
 私達、大谷派の大先輩である明治の清沢満之が、「京都六条の甍が本尊になってしまうなら、火で焼き水に流すべきだ」と戒められるのも、その要点である。
 その形が生み出されてきた先輩方の深い願いに聞き続け、問われ続けていかなければならない。

―――以上 『顛倒』04年10月号 No.250より―――

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