瑞興寺

<真宗大谷派 瑞興寺>(ずいこうじ)
住所:大阪市平野区平野市町3-4-17
編集:瑞興寺住職 清 史彦(法名 釋 秀顕)

2020年 年頭の挨拶

虚 往 実 帰(きょおうじつき)

子年今年の年頭の言葉の元々の出典は、中国の古典『荘子(そうし)』で、「虚(むな)しく往(ゆ)きて、実(み)ちて帰(かえ)る」と読みます。 image


一般的な意味は、「行きは不安で虚しい気持ちだったが、帰りは満ち足りている」で、『師から無形の教えを受ける例え』を表します。 元は中国の古典ですが、高野山に真言宗を開いた空海が中国での師との出逢いを、人智を超えた不可思議な法縁と解して、この言葉を用いた事で日本では有名です。 浄土の教えの伝統で言うと、七高僧の第五番、中国の僧、善導大師(613~681)が、「虚往実帰」を、『浄土論註』に、意味を深めて取り上げておられます。 それは、「今解すらく。往相回向を虚往という。(衆生功徳乏虚にして生ず。)還相回向を実帰という。(人天を度して、仏と斉等なり。)」という言葉です。

前住職の友人として、長く瑞興寺で親鸞の教えを説いて下さった、京都伏見のお寺の住職、仲野良俊師が好んでよく色紙に書かれていました。 『論註』から学ばれた事は当然ですが、仲野先生は、空海ゆかりの真言宗の本山である京都の東寺に長く講義に行かれていたので、この言葉に特に印象を受けられたのではとも推察できます。 署名そして、一般的な意味を超えて、『論註』」の言葉を、「自分自身の在るがままに帰り、心を虚しくして物事に臨めば、中身が実ちたりて帰ることができる」と浄土真宗的に受け留めておられました。 なかなか虚しくなれない、自我煩悩にまみれた私たちへの金言でもあります。

昨年も、災害や政治不信、国際情勢など大変な年でしたし、個人的にも、歓喜や落胆。悲喜こもごもの激動の年でした。 まさに煩悩に翻弄された一年でした。今年は何とか、在るがままの虚しさに少しは気づきつつ、内実を伴なって帰りたいものだと思います。 住職の師である竹中智秀師の言葉「くらべず あせらず あきらめず」で挑戦し続けたいと願います。 しっかりとゆっくりと歩む事を申し上げて、年頭の挨拶と致します。これからも、相変わりませず宜しくお願い申し上げます。

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