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和田稠さんのことば

永代経法要(1999.4.29)法話より

○今年の永代経法要では『共に生きる国』というテーマを頂いていまして、このことを手がかりに、ごいっしょに、親鸞聖人の教えに生きるとは、どういうことなのか。ということを聞いていきたいとおもいます。

 

一緒に生きる場

 

○言葉では、このテーマを理解できます。

でもそんな国がどこかにありますか。

『クニ』と言っても、『国』とか、『くに』とか、『邦』とか、『郷』とか、それぞれ意味するところが違います。

○国と書くと、明治以降、私達は特に「国家」のことを思ってしまいます。

ここで(今回のテーマで)「共に生きる」と言った場合、もちろん国家のことも大問題ですけれど、

たくさんの違った人達が集まって、いのちが一緒に生きる場を「くに」と言うのです。

 

「くに」の喪失

 

○現代の日本人はあらゆる「くに」を失ってしまった。

「家庭」も、「ふる里」も、「俺がくに」も、
「父祖の国」も。
おまけに、一番新しく明治以降に持った「国家」もハッキリしない。

日本ほどわからん国はない。
何をしたいのか。しようとするのか。

「くに」は何処へいったのか

故郷、

 

 

 

○故郷、ふるさとも「くに」のひとつです。

「うさぎ追いし彼の山、
 小鮒釣りし彼の川 」

うさぎも鮒もみんな友達だった。

いのちといのちが支え合い、結ばれ合いながら、
みんなが生きていた。

生国

 

 

 

○生国もそうです。

言葉もいっしょ。
漬物もいっしょ。
生活が共通している。

すると、そこに生きている喜びがある。

  □生国=しょうこく
     =その人が生まれ育った土地
      (例:寅さんの葛飾柴又)

そんな「くに」も今は無くなった。

祖国 

 

 

 

○祖国、これも無くなってしまった。

核家族 

○最近は一軒の家でさえ、どうですか。

起きる時間も、食事も、帰ってくる時間も、
寝る時間もバラバラ。

そんなもんが、なんで無理して、ひとつの所に居るんやろう....。

家庭

○昔の家庭には
年寄りも若い者も赤ちゃんも、
健康な者も病人も、
ありとあらゆる者が一緒に居たのです。

○今は、家庭といっても健康な若い者だけ、
病人は病院へ、年寄ると老人ホームへ隔離される。

家庭も本来「くに」なんです。

皆、家庭で療養したいんです。
死ぬときも、家族に取りまかれて、
そして安らかに死んでいったんです。

最近は自分の家で死にたいと言う、こんなささやかな願いさえも満たされずに、

たった一人孤独で機械だらけの、集中管理室に閉じ込められて、最期を迎えねばならなくなっているんです。

家庭も、もう「くに」ではない。

死者と生者が共に生きる「くに」


ホノルル空港で
フジモリと握手する和田稠

○共に生きるとは、

今おるもんだけではない、
亡くなった者もともに。
これから生まれてくる者も共に。

そんなつながりがある。

そこに「くに」がある。

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