年頭の挨拶

2016年 年頭の挨拶

 光 壽 無 量(こうじゅむりょう)

 昨年も多くの方々と今生のお別れをしました。今年もまた、そうなるでしょう。これが定めとは言え、本当に心の残ることです。
昨年五月、私(住職)も、お寺の母、前坊守・清智子(きよしさとこ)法名 清觀院釋尼智證(せいかんいんしゃくにちしょう)が 光壽無量のお浄土へ還りました。「愛別離苦」というお釈迦さまの言葉が身にしみます。

 思えば、私が僧侶の道を選ぶ一番のとなった母でした。私は、いつも友人たちには冗談めかして「女 に惚れて坊主になった」と言いふらしており、実際、瑞興寺の長女である妻と結婚しなければ、お坊さん には決して成らなかったでしょう。しかし、二六歳で結婚した時は、お坊さんに成るとか、お寺を継ぐと かは全く頭に無く、むしろ『宗教なんて、無いと困る弱い人たちの為に在るだけで、本当は無い方がよい。 そんな不要な者に成る気など全く無い』と、現代の世間そのままの考えでおりました。だから、ほとんど 駆け落ちのような形で、当時会社勤めをしていた東京で世帯を持ったのです。が、その時に、母がそっと 白い小さな包みを手渡しまして、中も見ないまま本棚に置いておきました。その後いろいろあり、二九歳 で会社を辞めて、僧侶の道に進むことになるのですが、その時初めて、その包みが、阿弥陀佛の絵像だと 判ったのです。正直、阿弥陀佛のお導きだと、私は感じています。さらに具体的にも、お寺に戻る話が出 た頃、前住職は一徹者ですから、「ええ加減な者にしてもらう必要は無い」と言い張っておりましたが、 母がそっと「やはり娘に帰ってきてほしい」と申しまして、私の決断の背中を押してくれました。
申  その後、大谷専修学院で学び、最初は疑ってかかっていたのですが、結果、親鸞に出逢い、使命感を持 ってお寺に戻りました。が、全く未知の世界で戸惑いました。その頃、母が親戚のお寺に精力的に連れて いってくれました。今、とても親しい方々です。お寺で生きて往く土台を一から仕込んでくれたのでした。

 二六歳の頃の阿弥陀佛に込められた母の「お寺を大切にしてほしい」という願いを引き継ぎ、真宗念佛 者として新たに始まる春。まさに「大切にしたい(愛でたい)」と感じております。今年もどうぞよろしく。

二〇一六年 元旦  瑞興寺住職 清 史彦(法名 秀顕)

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