年頭の挨拶

2014年 年頭の挨拶

奔 馬 新 春

 今年は「午年」ということで、「馬」という言葉を思うとき、頭に浮かんだのが『奔馬』という言葉でした。意味は「暴れ馬」ですが、作家、三島由紀夫の小説の題名です。『豊饒(ほうじょう)の海』という、三島由紀夫の最後の長編四部作、『春の雪』『奔馬(ほんば)』『暁(あかつき)の寺』『天人五衰(てんにんごすい)』の二部目の題名です。昭和四五年一一月、最終巻『天人五衰』を書き上げてすぐに、彼は、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で、国の現状を憂える演説をした後に割腹自殺、それも同性心中とも言われる自殺をしますので、「究極の自慰小説だ」という批判もあるのですが、私(住職)は『豊饒の海』全体が「とても仏教的な小説だ」と受け取っています。

 『奔馬』は、昭和初期の満州事変後、まさに奔馬のように、日本が急速に大戦争に突き進んでいく時代を背景に、奔馬の如き右翼的青年の行動が描かれるのですが、暴れ馬だから悪いではなく、私はそこに深い人間の煩悩の課題を感じるのです。むしろ今こそ、一人ひとりが暴れ馬のように動かなければならない春ではないかと思うのです。

てんどう2014年1月年頭のことば  例えば、昨年末、ドサクサ紛れに「特定秘密保護法」が決められましたが、これはまさに、アベノミクスなる、 目先の金の、借金経済に浮かれる内に、衣の下の鎧を露わにした、戦争のできる国づくりへの第一歩でしょう。 しかし本当にそれでいいのでしょうか。その本質は、福島原発の爆発で、科学文明の限界が観える中、人々を締め付けて、何とか生きながらえようという「近代」という時代の最後のあがきではないでしょうか。

 今こそ、誰かがやってくれるといった他人任せではなく、一人ひとりが「ナムアミダブツ」と、永遠無限の広く大きな視野を持って、しっかりと生活し、奔馬の如く怖れることなく、自分自身を表現し、『水平なる共なる世界』という、次の時代を開く第一歩を踏み出さねばならないと、強く思うのです。

二〇一四年 元旦  瑞興寺住職 清 史彦(法名 秀顕)

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