王舎城の悲劇(13)
観無量寿経を巡って
講師 中川皓三郎先生

                        □96年5月の講話より

エゴで関係が壊れる

現代は、「傷つきたくない症候群」と呼ばれる若者達が多いそうですね。

他人と関係を持つことが難しくて、いわゆるバーチャルリアリティ(仮想現実)に逃げ込むような、

そして具体的な他者に触れ合うことが無いような状況を言うんだそうですが。

 

 

 

 

 

 

それは同時に、

人間というものは、たとえ幻想であっても、
自分と他の何かとの間に世界を開き、
そこに自分の居場所を見出さなければ生きていけない。

という事実を如実に物語っています。

 

 

 

他者との関係が開かれなければ
人は生きるということが出来ない

 

 

 我今樂生 極楽世界 阿彌陀佛所

 唯願世尊 教我思惟 教我正受

               (観無量壽経)

 

観経の物語においては、

母と子という一番近い人間関係さえも、
人間のエゴによって壊れた。

共なる世界がどこにも見出せない。

自分の依って立つ場所が見出せない。

そんな絶望の中から、
母であるイダイケは、

いかなる人間のエゴによっても壊されない世界が欲しいと欣(ねが)う訳です。

エゴ= ego =自我関心、自尊心

我、今、
極楽世界の
阿彌陀佛の所に
生まれんと
樂(ねが)う

唯、願わくば
世尊
我に思惟を教え
我に正受を教え
たまえ

 

美しいもの  

八木重吉

 

私 自らの中でもいい
私の外の世界でもいい

どこにか
本当に美しいものはないのか

それが敵であってもかまわない
及びがたくてもよい

ただ、あるということが 
わかりさえすれば

ああ久しくも 
これを追うに疲れた心

 

 

親は子供のためを思っていろいろ考えます。
そのことに疑いはない。

けれども、せつないことには、
その子を思う、その思いの中にエゴが入り込んでいるということなんです。

人間の努力や心がけなんかでは、解決しないんです。

それほど人間のエゴは深いわけです。

さあどうしますか。
大変なことですね。

そんな私達に向かって釈尊は、
イダイケの欣(ねが)いに応えて、

やおら阿彌陀佛の浄土を説きだすんです。

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