王舎城の悲劇(2)
観無量寿経を巡って

講師 中川皓三郎先生

□95年2月の講話より(第2回)

観無量寿経へのいざない(2) 

観無量寿経、そして無量寿経、阿彌陀経という浄土三部経はいわゆる大乗仏典ですが、それらは歴史的事実としてはお釈迦さまの滅後に編纂(へんさん)されています。そういう意味から言えば『仏説(ぶっせつ)』――釈尊が説かれたもの――ではないということになります。

 

しかし、お経が『仏説』と言われるのは事実としてお釈迦様が説かれたということではなく、その教えを聞くことを通して「私は仏陀と同じ境界(きょうがい)を生きることができました。いかなる苦悩の世界にあっても、その苦悩をまっすぐに受けて、それを解いていく者になりました。」と言う人がたくさん生まれてきた。という意味なのです。

観無量壽経もまた、この経典に触れた多くの人々を苦悩から解放し、よく生きることのできる道を開いてきた歴史があります。そしてさらに現代を生きる我々にも、また、伝えられています。それが経典のいのちです。 


釈迦如来像 深大寺
『原色日本の美術』小学館

経典がその生命を終わるということは、人を救う力を失うということ。安田理深師がよく言われていましたが、要するに文化財になってしまったということなのです。

観無量寿経については、たくさんの人が注釈書を書いています。それほどまでに、よく読まれたんですね。

 阿弥陀の浄土を『観想』していくことを通して、人間を現実の苦悩から解放してゆく。その道を教える経典としてよく読まれていました。が、そのような読み方をひっくり返したのが中国の唐の時代を生きられた善導(ぜんどう)という人なのです。

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佛説観無量壽経(ぶっせつくわんむりょうじゅきょう)

如是我(にょぜがもん)

是(かく)の如き、我 聞きたまえき。

善導は言います。

どれ程すぐれた教えであっても、『自分自身の問い』をもって尋ねない限り、本当にその意味するところを聞くことはできない。それは、大きな釣り鐘もたたかなければ鳴らないのと一緒だと。

私達も『自分の問題』をはっきりさせることが大切なんです。つまり、『日々何を教えとして生きているのか』ということなんです。

 

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