インド・カルカッタ紀行

その参

「てんどう」の4月号で、インドマザーテレサの家の見聞を紹介したら、
若い人から、Eメ−ルを頂いた。そのやり取りの一部をご紹介したい。
「今時の若いモン」の一端を示してると思うので。

彼はK君は、高校を出たばかりの18歳。
あえて今年は大学を受験せず、しばらく市民運動など、
具体的な現場の行動や学習などに関わった上で、大学を選びたいと言う。
興味があるのは、環境と教育だそうだ。
《清》
実地の経験を積んだ上で必要な勉強を見極めてから、大学に行こうというのはいいね。
僕の高校3年の頃は、今思えば、何も考えず、レールの上を走ってただけやったから、
あなたのような視点は頼もしく思います。
《K》
僕自身、何でこういう観点から見るようになったのかは分からないんです。
不思議ですけど。
でも小さい頃から、いつも「現状は何かが違う、納得できない」って感じていたんですね。
だけど思うだけで実行には至らなかった。
今、社会で問題になっていることは、ある程度の知識のある大人に聞けば、
それなりの対策とか原因になっていることを指摘されます。
みなしっかりと情報分析はできているようなのです。
だけれど、一番の大きな問題は「わかっているのに行動に移さない」ということなんです。
小さい頃からの疑問は、それが大きかったのかもしれないと最近は感じます。
大人は、わかっているけど変えられない、変える気がないんだと。
そういう状況を見てると、子供にもそういった「やらずにあきらめる」という考え方が 
できあがってしまうんですね。僕の友達にも多いんです。
でも変えようとがんばっている人がいる、その人たちと接してみると 
「何もやらずに、あきらめる必要はないんだ」という勇気が起こるんです。
それがたまらなく楽しいし、嬉しいんですよね。

《清》
宗教にも興味があるとか

《K》
なんだか、オウム真理教とか、法の華とかが、
問題を起こしたために宗教=悪というような概念が生まれてきてしまっている気がします。 
僕としては、宗教って元々「人間って何なんだろう」とか、
そういう哲学のようなものから生まれたんだと思ってます。
だから違う宗教でも似た考え方はよくある、と。
生きる上で困ったら「こういう道もあるよ」とか「これを知ったらいいかもね」っていうふうに
サポートしてもらえる場なのかなって思います。
人が弱くなっているときに、そこに付け込んで、
その人を利用するようなことをする宗教は困りますが・・・。
僕の信条は「食わず嫌い、偏見、先入観などでものを見ないようにしたい」ということなのです。
どんなものでも先ずは自分で、見て、感じて、それから判断したいと思うんです。 
情報が氾濫している時代だからこそ、自分の価値基準をはっきりさせて、
そこから答えを得ないと、ただ時代に流されるということになってしまうのではないかと思っています。
なんだかこういうことを言うと「高校生じゃない」って言われるんですけどね(笑)

《清》
まあ確かに「チョット老成しすぎちゃう」
という感じもするけど、
まことにもっともな視点やと思うし、
僕自身の課題も同じです。
そして、それが「仏教」でもあるのでね。
《K》
ひょっとしたら仏教だけでなく、
人の純粋な思いから生まれた宗教なら、 
みんなそういったことを
目的や課題にしているのかもしれません。
少なくとも、そういった宗教には、
こういう新しい時代を見越した側面が
あるんじゃないかな、と感じます。
teresa3
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《清》
今回のインド旅行で、
カルカッタのマザーテレサの施設で
手伝っている若い日本人の方々と会って、
彼らの、肩肘張らずに行動されている、
その「軽やかさ」に感動を覚えたんやけど。

《K》
若いっていうのは、
昔からの流儀とか習わしとかにとらわれないで、 
新しいものも、いいものなら
どんどん取り入れて変えていける、
そこに強みがあると思っています。 
やっぱり時代を変えるには
若さとか新しい視点っていうのは必要ですよね。 
もっと僕も自分と同じ世代を巻き込んで
いろいろ行動を起こそうと思っているんです。
 
《K》
ところで、インドという国には、かなり興味を覚えるんですね。
先日「地球白書」と いうNHKの番組を見たのですが、
農業を都市の中に組み入れて都市部の人口の食料の大部分をまかなえているとか。
ソーラパネルを使って電気の行き届かない農村部でも 
電気が使えるようになったという話もしていました。 
それに近年はIT技術者を養成している国として注目を浴びています。
インドに伝わるサンスクリット語はコンピューターのプログラム言語と構成が非常に似ている、 
とかいうことも聞きました。
チベットなど、インドやその北部には古くからの宗教もたくさんあるようですし、
なんだか考え方とか、そういう思想の起源があるような気がいたします。
「気」というか オーラのようなものが、あの地方からわき上がっているのかもしれませんね(笑)
《清》
今回のインド、パキスタン行は、「各地の宗派のお葬式の仕方」を見てこようというもので、 
あなたの今言われた、いろんなことまでは見てこれなかったのですが、
とにかく、現代日本の、いわば西洋近代思想とは違った文化、
秩序が在る場であることは確かです。
現代の我々から見れば「汚い」とか「遅れている」と思えたりするんだけど、
 「さあはたしてそうか」ということです。それを「東洋的」と言っていいのか、
彼らなりの「しっかりとした、高度な文化、秩序」があるということです。 
しかしまた同時に 「お葬式」ということでは、けっこう似ているところもたくさんありました。
まあとにかく、騒がしい、オモロイ国ですね、またボチボチ報告します。

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