ハ ワ イ 報 告(1) 清 史 彦
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1.多くの出会いを得る |
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「ハワイに行ってきました。」と言うと、海での遊びか、買い物かと思われるかもしれませんが、この旅は和田稠先生にお供した研修旅行でした。 観光者のほとんど来ない、オハフ島西岸のワイアナエという町にある、ピースセンターと呼ぶ農場に3泊して、いろんな方々に出会うことができました。 |
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ひとことで言うと「ハワイの独立運動」をしているハワイの原住民(ネイティブ)の方々と主に交流したのですが、 それも、近代的に「自分に力をつけて」とか、 |
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医者や弁護士はエライけれども、例えば眼前の海のどこにどんな魚がいて、それをどうすれば獲れるのかを良く知っていることと、どちらがエライのでしょうか。 |
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現代では、明らかに前者を上に置き、後者を意味のないことの様に下に見なしていますが、本当にそうでしょうか。「それは、どちらもすばらしいことなのだ。」 という価値観こそがハワイの人達の元々持っていたものなのです。 彼らは、そのような元々持っていた、大事にしていた価値観や文化を復興し、そうして、自分達の「独立」を成し遂げていこうと動いている人達です。 |
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水田でタロイモを育てたり、魚を育てたり、自然農法を実践する農場を造る事を通して、ハワイの先住民の文化を復興し、特に若者の自立を支援しようとしている、元キリスト教宣教師のイタリア人ジジさん、ハワイ人エリックさん達。 なぜかフラ(ダンス)に惚れ込んでハワイまで来てしまい、今、伝統文化としてのフラをダンスしている日本人のミイラニさん。 日本に居るとき、在日コリアンと共に生きて、最初の指紋押捺拒否をした、日系アメリカ人キリスト教宣教師のフジヨシさん。 |
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ハワイ大学で東西文化を研究していて、今回、通訳を担当してくれた大学院生の大林さん 等々、多彩な方々とお会いしてお話を聞きました。 |
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2.分断されている! |
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この旅の一番の感想は「悲しさ」です。僕はとても悲しくなりました。 ハワイ王国がアメリカに侵略され、文化を潰され、属州にされていく経緯を学習しました。それは、日本が戦前、朝鮮、満州にしたことと全く一緒でした。 また現代にも続く、上が下を抑圧する構造もあらためて学びました。「どうして人間はそこまで分断されているんだろうか」と本当に悲しくなりました。 その一つの現れとして、「アメリカ人、イタリア人、ハワイ人、琉球人、日本人、大阪人、等々がハワイで交流するのに、なんで英語使わなあかんねん」と。 それしかないことがとても悲しいことでした。 |
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また、「日本人はなんでこうも、シャイ(恥ずかしがり)で表現力、行動力に乏しいのかなあ」と悲しく思いました。 それは「日本文化」そのものです。だって血統的には全く同じ日系の人は決してシャイではないですから。ハワイアンやオキナワン(琉球人)はとても表現力があります。 が、日本人である僕は「何か表現したいんやけど」、それを人前ですることを押し止める、また別の何かが僕の中にあります。 |
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そのように、私自身にシャイを植えつけた「文化」が嫌いになりました 参加者の一人である、沖縄の平和彫刻家の金城実さんが、 「人間には二種類ある。一人は、考える前に身体が動いているドンキホーテ。 日本ではドンキホーテの僕も、ここでは明らかにハムレットでした。 |
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3.機内で足止めされる |
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午後6時55分関西空港発のノースウエスト航空(NW16) B767 に和田稠先生と乗り込みました。ところがいざ出発というときに全然動く気配がありません。 30分ほどしてやっとアナウンスが入って「コンピュータが不調です」と言います。お腹がすいたので「ご飯出したら」と言うと、何故か「地上では出せません」と言って、結局ジュース一杯で三時間足止めでした。 |
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日本人は忍耐強いのでしょうか、あまり不満の声は出ませんでした。 僕はといえばいつもは「文句ったれ」なんですが、幸か不幸か免税店でマーテルVSOPを買い込んでいましたので、それをちびちびやって、そう苦痛ではありませんでした。 「飛行機ってこんなもんやな」という気もありましたし。出発は10時を回っていました。 |
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ほとんど眠れずに、午前10時30分頃ハワイのホノルル空港に着きました。 着陸直前に窓から、明日行くワイアナエが真下に見えました。 結局足止め3時間、フライト7時間半の長旅でした。 |
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**********『ハワイ報告』(2)につづく********** |