ハ ワ イ 報 告(2)

清 史 彦

 

4.ワイキキ*造作された街

今回の研修旅行の企画者であるワイメア東本願寺の藤森宣明開教師(と言っても、 30才そこそこのナイスガイ)が空港に出迎えに来てくれ、タクシーでワイキキの ホテルまで走りました。

着くともう昼前。「ひるごはん」に行ったのがなんと「札幌ラーメン」のお店。漢字と日本語が店内にあふれていました。「ああこれ がワイキキか・・・」

 午後、さすがにダウンして3時頃まで寝て、やおら起きだしてワイキキ探索です。

先ずレンタサイクルを借りました。ワイキキは今や日本の若い子達の「お買物」の場所だそうです。

日本を発つ前、ハワイの話しをしていると、高校1年の娘が雑誌を取り出してきて「これとこれを買ってきて」というではありませんか。

結局、ラルフローレンのブラウスとかシンシアローリーのTシャツとか到底覚えられないような名前の品物を紙に書いてよこしました。

高校3年の息子はナイキのシューズです。これも名前は覚えられません。

地図を片手にレンチャリで店を捜し回りました。情けない話です。

 


ワイキキ遠景

どこもかしこもオモチャ箱のようなお店。ここは町全体が遊園地のようです。そして至る所に、日本人の、それもはたちに成るかならないかの女性達が歩いています。

普通の国の人達にとって、海外へ出かけることはとても大変なことなのに、 「日本てなんでこんなに変な国なんだろう」とつくづく思いました。

帰国後、「研修で行って来ました」と言っても、「ずっと学習だったの?(そんな はずないでしょう)」とあまり信じてはもらえません。 

もちろん学習ばかりだったわけではありませんが、なにより日本人には、上記のように「ハワイは遊ぶところ」という常識が、とことんしみ込んでいるようです。

かく言う僕だってそう思っていましたから。それが常識の偏見なのです。

ハワイといえばビーチでフラダンスとサーフィンしか思い浮かばず、そこにそれぞれの歴史を持って普段の生活をして、昔から住んでいた人々がおられることに思い至らないわけですから。


ワイキキ海岸

ワイキキとは「水の豊かなところ」という意味のハワイ語で、元々はタロイモの水田が広がっていた場所だったそうです。

その立地の良さに目をつけた、アメリカ資本が住民を追い出して、リゾートとして開発した場所なのです。

先程感じたように、まさに人為的に作られた遊園地だったわけです。

現代の日本におけるリゾート法に代表されるスキー場、ゴルフ場開発のように自然の中に計画的に遊び場を作り、そこに多数のツアー客を送り込み、そしてその人工的な「自然」を本物の自然と思わせ、その実は自然破壊をしている観光産業(地)の、その世界最初の大先輩がワイキキなのです。

今もワイキキだけが運河で他の地域と仕切られており、一般の日本の旅行者はツアーの添乗員から「運河の向こうへ、危ないから行かないように」と注意され るそうです。

旅行者で賑わうワイキキの人工の浜辺の向こうにダイアモンドヘッドが黙って横たわっていました。

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5.戦争記念館と史実

翌朝、空港で東京や北海道からの参加者全員とおちあい、パールハーバーへ向かいました。

太平洋戦争勃発の真珠湾攻撃の場所で、日本軍に沈められた戦艦アリゾナの記念館があります。

記念館は入場無料で、働いている人は全員、軍人か退役軍人のボランティアです。それもそのはず米軍の宣伝施設です。

最初に太平洋戦争の記録映画を見ますが「アメリカはしかたなく戦争にまきこまれた」という趣旨だけですし、ヒロシマ・ナガサキも出てきません。

ブッシュ大統領の演説も「アメリカは民主主義の為に戦争をした」という内容で、ある程度それは認めますが「そんなきれいごとだけやないやろ」という感じでした。


戦艦アリゾナの前の和田稠


祈る和田稠

その後、海に沈んでいるアリゾナ戦艦の上にある記念館へ、小船で行きました。

艦内で亡くなった米兵のネームプレートの前で、参加者全員で「嘆仏偈」を勤めました。

沈んだ艦内からは、56年経ったいまも重油が漏れ出していました。

水面に虹色に広がる油の輪を、そして亡くなった一人一人の名前を見ながら「勝とうが負けようが、国家が起こした戦争で苦しむのは一般庶民なんだなあ」と今さらながら思いました。

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**********『ハワイ報告』(3)につづく**********

 

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