ゴータマ・ブッディズムの生活(15)

 

伝道(一人して行け)


釈尊が鹿野苑におられたころのこと、ベナレス第一の富豪の子ヤサを教化した。

彼の一族・友人54人もそれぞれ教えを受け、仏弟子となった。

釈尊は彼らをそれぞれに伝道の旅に送りだした。

――『釈尊読本』より――

ベナレスにヤサという立派な青年がいた。豪商の一子(ひとりご)として、あらゆる贅沢が許されていた。

ある夜、彼はいつものように歓楽に打ち興じていたが、やがていつのまにかうとうとと寝入ってしまった。

しばらくして眼をさましたとき、彼が見たものは、美しく着飾り、歌に踊りに、自分を楽しませてくれた女たちの、寝みだれた姿であった。

 

 

 

 

 


石造浮彫釈迦説法図

ヤサははじかれたようにはね起き、「あぶない、あぶない」と叫びながら城を走りでた。

鹿野苑の林に休んでいられた釈尊は、「あぶない、あぶない」と叫びながら走ってくるヤサの姿を見、その叫び声を聞かれて、ヤサに呼びかけられた。
「若者よ、ここは少しもあぷなくはない。ここにすわり、そして法をお聞きなさい」

その言葉はヤサの狂った心を和らげた。彼は釈尊のかたわらにすわり、そのお言葉に耳を傾けた。


ヤサをさがし求めて鹿野苑に来たヤサの父や、その一族、友人たちも、仏弟子となった。

やがて、釈尊は彼らに命じたもうた。
「比丘らよ。世間を憐(あわ)れみ、すべての人々の幸せのために世を巡れ。
二人して一つの道を行ってはならぬ。

そして広く、初めも美しく、中も美しく、後も美しく、義と文の備わった法をのべ伝えよ。

すべて円にして浄(きよ)き行を説きあかせ。

世には智慧の眼の汚れ少ない人々がいる。
彼らは、法を聞かなければ滅びるであろうが、法を説き聞かせばさとるであろう」

 

住職のひとこと

 

 

 

『二人して一つの道を行ってはならぬ』

『サイの角のように唯一人歩め』

お釈迦さまの厳しいことばである。

一般に「宗教」というと。何か「弱い」ものが「群れて」いるようなイメージがあるのではないか。

でもそんなもんは、少なくともゴータマの仏教ではない。

ゴータマの仏教は、どこまでも一個の主体の確立を教え、そのような主体こそが、よく他と共に歩めるのだと説いている。

 

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