ゴータマ・ブッディズムの生活(3)

 

釈尊の説法

釈尊は言われた。

世のありさまをみるに、人々は人情がうすく、みな急ぐに足らぬことを争い、

そのはげしい悪と苦しみの中にあって、わが身の世わたりに追い立てられている。

地位ある人も無い人も、貧しい人も富める人も、老いも若きも、男も女も、みな同様にお金や損得で心配している。 

 

阿弥陀如来像
京都 法金剛院

「原色日本の美術6」
    小学館刊

無ければ無いで苦しみ

あればあるで苦しみ

ひたすらに欲のために

心を使って

安らかなときがない

 

 

 

土地があれば土地を憂え、家があれば家を憂え、心配は心配をうみ、不安に不安が重なり、ただ恐怖におののく、思いもよらず、災害にあい、困難に出会い、奪われ焼かれて無くなると、そのために怒り怨み悩んで、心はいよいよかたくなになり、思いの解けることがない。

 

もし命まで失うようになれば
全てを捨てて去っていかねばならない
その時には
誰ひとりついていくものはない

 

 

このような人生のおもむくところは当然わかるはずなのに、誰もこのことを思おうとはしないのか。どうか阿弥陀の本願を信じて、正しい道を歩み、徳を行ってほしい。

『大無量寿経・下巻』より

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視 点

 

「人間を説いたお経」と言われる『無量寿経・下巻』の厳しい人間観である。「ここまで言わんでもええやないか」とも思うけれど、昨今の役人の汚職や経済革命倶楽部や、暴力団と企業とのつながりなどを見ると、「それも無理ないなあ」とも思える。そして何より、フト自分自身を振り返ってみると、それほど規模は大きくないけれど、似たような質の『思い』を抱いていて『ギクッ』としてしまう。

法事のときに、お経のこの部分を、よく読むが、聞かれた人の反応も興味深い。「なるほど、その通りですよねえ」という人。「仏教はゴーマンだ。みんながみんな、こんなことをしているわけではない」と怒る方。黙って、「私には関係ないわ」という顔の人。いろいろだ。

 

 

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