今、世界は! 

〜年頭の言葉
顧倒 2007年1月号より掲載
●<年頭の言葉>









 昨年は、信頼する二人の先生が命終された誠に悲しい年でした。また親しい方々も何人か命終され、仏陀から何度も「諸行無常」の真理をお教え頂いてはいても、今さらながら「無常」を感じてなりません。お二人の師は、どちらも共に、浄土、すなわち、国土、クニを徹底して問題にされた先生でした。

 ひるがえって昨年秋以降、我が日本国では、「美しい国」という掛け声の下に「教育基本法」の改定と、「防衛庁」から「省」への改定という、これまでなら考えられなかったような、「国」の基本となる事柄がバタバタと国会で決められ、片や増税、残業代不払い法案などが議論されるなど、「愛国心」が強調される中で、弱いものを踏みつけ、強いものを優遇していく施策が次々と進められています。

 これら全てが、一昨年の「まやかし郵政選挙」によって、獲得した多くの与党議席によってなされていることは、誠に悲しい現実です。あの時、庶民は「せめて少しでも役人を減らしたい」という、藁にもすがる思いで「郵政民営化」に賛成したのですが、「民営化」の実体は全く見えないまま、またより切実な「年金」問題には手もつけられないまま、委任したつもりもない「新教育基本法」や「防衛省」が決められてしまったのです。まさに、猪や犬も食わぬ、詐欺まがいの騙しのテクニックでした。こんなやり方のどこが「美しい」のでしょうか。そしてそんな手を使う「国」とは、いったい何なのでしょうか。

 国と言ってもそれは、国土なのか、人間なのか、文化なのか、はたまた政治体制なのか、しっかり見極めねばなりません。「国敗れて山河有り」という古い漢詩にあるように、私たちが永遠なものとして信頼すべきものは、山河、国土であり、そこに文化を持って住む、人間なのであって、決して、一時的な政治体制ではないはずです。

 お二人の先生は、私たちは現実の一時的な、上下の秩序による国家を生きており、もちろんその事実を無視してはいけないけれども、本来の依って生きるべきは、永遠無限なる水平な国なのだと教えてくださいました。「強き」「上」なる者も、その本質は「弱き」「下」なる者なのですから、それに気付き、共なる低み、水平なクニに下りようではないですか。



(チョコウ クラハズ)







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