顧倒 2002年5月 No.221号より掲載
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真宗遺族会本廟奉仕 (しんしゅういぞくかいほんびょうほうし)
- 毎年、靖国神社や千鳥ケ淵墓苑、あるいは、各府県の靖国神社や市町村・校下で、
戦没者の追悼法要が行われていますが、今年の第三回「真宗遺族会本廟奉仕」は、
毎年4月はじめに開催されます「東本願寺の全戦没者追弔法会・
春の法要」に参列させていただいて、真に戦没者を追悼するということは
どういうことかを、深く見極めたいと思います。
昨年9月11日の「米国・旅客機自爆テロ」をきっかけに開始された、アメリカ軍による
「イスラム攻撃」は、ついに日本の「自衛隊の海外派兵」にまでエスカレートしてしまいました。
戦争の悲劇から学びとった「二度と戦争をしない」という戦没者遺族たちの悲願は、
小泉ブームの煙幕の中にかき消されてしまった思いです。
今一度、私たちが、戦争で亡くなった数知れない人々の「いのちの願い」に、
どのように応えるべきかを、本願念佛のみ教えによって、
深く、明らかに聴き開いて行きたいものと思います。
- @本山の春の法要に、「真宗遺族会」という名の研修奉仕団として参加しました。 「それって何?」という声が返ってくるでしょう。 「遺族会」と言えば「靖国神社」に決まっているのですから。 でも、北陸のご門徒でご遺族の方が、「なんで、私達念仏者、仏教者が神社なんや?」という疑問を持たれた方がおられ、数年前から『真宗遺族会』という名の学習会が始まっているのです。私も仏教者の一人として、また、オジが戦死している遺族の ハシクレとして「大切な視点だ」と感じて参加したわけです。
親鸞聖人は、「仏に帰依せば、終にまた、その余の諸天神に帰依せざれ」という涅槃経の教えを大切にされています。まして、『靖国神社』とは『神社』とは名ばかりで、日本古来の神道ではない明治時代初期に陸軍省の元に造られた、いわば軍事施設としての外教邪偽(げきょうじゃぎ)なのですから。だからこそ「もう戦争などイヤだ」という戦没者遺族の悲願を置き去りにして、今『普通の国』という、真におろかな 「戦争のできる国になろう」「戦前のような国になろう」という動きが、この日本において大きくなってきているのでしょう。本当に大切なことは何か。戦争で亡くなられた方々の本当の願いは何か。それぞれの主義主張を超えて、一度静かに耳を済まし目を見開かねばならないのではないでしょうか。
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