■第三章■ ・・・その1・・・
〜善人なおもて往生をとぐいわんや悪人をや〜
○【第三章】 その1 善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。 しかるを、世のひとつねにいわく、悪人なお往生す、 いかにいわんや善人をや。 この条、一旦そのいわれあるににたれども、 本願他力の意趣にそむけり。 そのゆえは、自力作善のひとは、 ひとえに他力をたのむこころかけたるあいだ、弥陀の本願にあらず。 しかれども、自力のこころをひるがえして、 他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり。 |
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○<住職のコメント> さあ、親鸞で一番有名な悪人正機説である。 近年の研究では、親鸞の師の法然が説いた教えを親鸞が広めたらしいが、この善悪の問題は、浄土真宗の一番の要点である。 先日、あるシンポジウムに出席していて、オウム真理教の話になり、『オウムは悪だというけれど、私たちも悪ではないですか』と私が発言して、『ミソもクソも一緒にするな』と批判されたが、どうだろうか。 確かに世間の善悪では、『オウムは絶対の悪人、私達は善人』ということだろう。 が、例えば、オウムは確かに『不殺生、殺すな』という仏教の第一の戒律を破ってはいるが、私達がぬくぬくと生きているそのことが、その裏で『殺生』を積み重ね、それに気づかないフリをして生活をしていることはどうなのか。 じっくり考えてみたいことではなかろうか。 |
―――以上『顛倒』99年8月号 No.188より―――