歎異抄(1)

■第一章■
〜老少善悪のひとをえらばれず〜

【第一章】

弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつたこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず。ただ信心を要とすしるべし。
そのゆえは、罪悪深重煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします。
しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆえに。
弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえにと云々


  【住職による現代語訳】

阿弥陀仏の不思議な誓いにたすけていただいて、往生させてもらうのだと信じて、念仏しようと思い立つ心の起こるとき、直ちに、あらゆるいのちを摂い取って捨てない利益を頂けます。
阿弥陀仏のお立てになった根本の願い(本願)、老いも若きも、善人も悪人も、どのような人も選ばれず、ただ信心だけが必要なのだと、知らなければいけません。
なぜなら、その本願は、罪と悪が深く重く、いろんな煩悩が燃え盛っている私たち、生きとしいけるものたちをたすけようという願いだからです。
だから、阿弥陀仏の本願を信ずれば、他の善行は不必要です。
なぜなら念仏に勝る善などありませんし、また、どのような悪も恐れる必要は有りません。阿弥陀仏の本願を妨げるほどの悪はないからです。
                          


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<住職のコメント>

親鸞という凄い人がおられた。といったが、
それはもちろん、『歎異抄』を通して知った親鸞だから、
この書物がすごい!”ということでもある。
第一章からアクセル全開でド−ンと念仏の信心の神髄の問答無用のぶちかましだ。
しかも『阿弥陀』『往生』『摂取不捨』『罪悪深重煩悩熾盛』『善悪不要』と
人間の常識ではありえない意味の言葉が並んでいる。
とにかく訳がわからんのだけれども尋ねてみたいという意欲が涌いてくる。


―――以上『顛倒』99年4月号 No.184より―――


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