正信偈講話

『顛倒』連載版〜2014年11月開始〜


 
『顛倒』連載 第三十一回

   読み下しは「譬(たとえ)ば、日光は雲や霧に覆(おお)われていたとしても  雲や霧の下は明るくて闇が無いが如し」ですが、このままで意味は通じます。 先月号の言葉、「既に迷いの闇は破られているが、貪愛瞋憎の雲霧が 常に佛の真実信心を覆ってしまう」の、 「佛の真実信心」を「日光」に譬えているのです。言葉も難しくありませんので、今月は「日光」すなわち「太陽」についての随感を述べます。
 
 古代より世界各地で太陽は崇められ、崇拝と伝承を通して、 太陽神信仰が生まれてきます。いわゆる「自然宗教」の一つです。 一方、キリスト教やイスラム教のような、特定の人物が特定の教義を唱えて、 それを信じる人たちがいる「創唱宗教」の場合、あまり強調はされません。

 日本神話の「天照大神」は、典型的な「太陽神」です。日本古来の神道は、まさに「自然宗教」で、山や大きな岩、大きな木、はては、狐や蛇まで「神様」として大切にされており、いかに日本民族が自然と一体となって生活してきたかが、よく伺えます。それらの総元締めが「天照大神」です。それはそうでしょう。太陽が無ければ、この地球上に生命は誕生しませんし、そもそも「地球」自体も太陽系の第三惑星ですから、太陽が無ければ存在しません。

 「天照大神」のエピソードで有名な、「天岩戸の神隠れ(弟のスサノオの乱暴狼藉を悲しんで、天岩戸に隠れ、世界が真っ暗になった)」も、AC248年に日本で見られた皆既日食であるという意見もあります。「神武東征」もそうですが、「神話」は単なる作り話ではなく、何か下敷きになる事実があり、それがデフォルメされて「神話」になったと考えられるのです。そして、「天照大神」も歴史上の「卑弥呼」の「神話化」ではなかろうかと、私は思うのです。AC200年ころに北九州にあった、南朝鮮と一体となった女王を戴く王朝が栄え、その子孫が瀬戸内海を東へ攻め上り、正面の難波は警備が厳しいので熊野へ廻り、熊野の豪族が道案内(ヤタガラス)となって、吉野、飛鳥という裏玄関から大和に攻め込んで征服し、新たな王朝を建てて、「ナラ」と名乗ったのだろうと考えます。ちなみに、古代朝鮮語の「ナラ」は「国」という意味だそうです。 一方、「天照大神の子孫が天皇家だ」という話を捏造だという方も多いですが、前述したように、朝鮮からの渡来系民族が天皇家の祖先だという見方からすれば、あながちに捏造とは言えず、誇張した表現だという事になるでしょう。

 さあそこで佛教は、どうでしょうか。佛教はお釈迦様の創唱という見方もありますが、私は「お釈迦様がこの世の道理に目覚めて、それを言葉で表現して下さった、真実の教え」と捉えていますので、太陽信仰も含まれていると思います。「大日如来」「日光菩薩」等がそうでしょうし、何より、親鸞さまが、この正信偈で何度も「日」や「光」を譬えに用いておられる事が、そうでしょう。
 
 

―――以上『顛倒』2017年9月号 No.405より ―――

          

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