王舎城の悲劇(15)
観無量寿経を巡って
講師 中川皓三郎先生

                      □96年6,7月の講話より

浄土の世界を観る

 

『観経』において、釈尊は王妃イダイケに向かって

西方極楽世界(浄土、無憂悩処、清浄業処、阿彌陀佛所)をイメージする色々な具体的な方法を説いて行かれます。
           (全てで13通り、「定善13観」と言う)

 

まさに私達、いのちを生きる者の環境を表現しているように思えるのです。

 

 

無有安心之地
(善導大師)

 

 

どんな状況にあろうとも、
我々は気がついてみると、
安心の地を持てない。

自分が自分自身として安心して生きていける世界の無い、
とても不安定な・不確かな生を生きているものである。


日想観

先ず、日想観です。

西に向かって座り、
沈みゆく太陽の姿を想いうかべ、

心をそこに止(とど)めなさい。

円、
光、
あらゆるものが帰っていく処

というイメージでしょうか。

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善導は

日想観に依ることにより、
我々に『生』の方向が明らかにされる、
と言われました。

我々が生きているということは、
生まれて死んでいくという歩みの中にある。

だからこそ、
我々の生がどこへ向かっていくのか
が大きな問題なんです。

 

 


水想観

次に、水想観です。

清らかに澄み切った水の姿、

映え渡る氷の姿を想いうかべなさい。

透明にして水平なあり方、
大地の深さ、
広々とした平らかさでしょうか。

あるいは、
海とか、
大きな川とか、
清らかな谷川とか
を見たときのイメージでしょうか。

 

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水は、あらゆる姿に、柔軟に変化します。

器によって形を変え、
蒸気や氷になったりもする。

けれども、その本質は全く変わりません。

そのあたりからも、
我々に願われている『生』のイメージ
がうかがえます。

 

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