王舎城の悲劇(0)
観無量寿経を巡って

講師 中川皓三郎先生

観無量寿経 総論

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我今楽生 極楽世界 阿彌陀佛所
[アミダの世界を生きるものになりたい]

 

韋提希(いだいけ)は親子が殺し合うことによって、自分自身が本当に生きることの出来る確かな世界を失っていきます。

そして だからこそ、その大きな不安の中で、改めて自分自身がどうしたらよいのか、と問われます。そして最初は『もうこんな世界はいやだ。憂い悩みごとのないところへいきたい』と思ったわけです。

親子であっても殺し合う。まして他人ならそれ以上だ。

こんな地獄・餓鬼・畜生の世界はもういやだ、と。

 

ここで私達の原点を確かめておきたいのですが、親鸞聖人が、本願念仏の教えとして顕らかにされた『真宗』は、私達をどういうものとして、救おうとしているのか。ということです。

『念仏申して生きる』という人生とは、どういう人生なのか。

 

 

イダイケ夫人も幽閉され、阿難・目蓮来たって説法する

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設我得佛 國有地獄 餓鬼畜生者 不取正覚

[無三悪趣の願]

もし我が佛の位を得たとき 
国の中に
地獄、餓鬼、畜生という情況が有るのならば
我は正覚を得たとは言い得ない
 

『佛説無量寿経』より

釈尊来る。イダイケ夫人五体投地して訴える

地獄とは?
 いのちの関係が壊れた世界。
 『無所帰』.帰る所が無い。
 『孤独』.隣にいる人と通じない
 『無同伴』.共に歩む者がいない。

餓鬼とは?
 本当の満足がどこまでも無い。
 生きておること、
    その事に満たされない。
 人と人との関係は、
     みんな「利用関係」。

畜生とは?
 道理に暗い。
 人と人との関係は「支配と被支配の関係」。
 自分が自分で生きていないで、
 どこかのなにかの大きなものに依存して生きている姿。
 それは、支配されていること。

 

阿彌陀佛の本願は一番に地獄、餓鬼、畜生のない国を作りたいと誓っています。何がそれら(地獄、餓鬼、畜生)を生み出すのか。それは、人間の我執だと思います。

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設我得佛 國中人天 若起想念 貪計身者 不取正覚

[阿彌陀佛の本願の第十番目]

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