○ 習俗を考える
[北枕]

 お亡くなりになられた人を北枕に安置するのは、お釈迦様の涅槃の姿に倣ったものです。お釈迦様は入滅の時に、沙羅双樹の間で「頭北面西」の寝姿になられました。「頭北面西」とは頭を北にし、右脇腹を下にし、両足を重ねて、顔を西に向けた寝姿のことです。ですのでご遺体はなるべくお釈迦様の尊いお姿に倣って、北枕に安置しましょう。しかし、部屋の都合などで出来ない場合は、こだわらなくても結構です。
                                       (文責 木村慶司)

[友引]

 
暦に記帳された「友引」はその日に葬儀を行うと、友を引き寄せて一緒に冥土に連れて行くという、迷信から起った風習です。これは先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口の順序で循環する六曜の一つで、旧暦正月の一日が「先勝」二月の一日から「友引」を当てて六日ごとに循環する仕組みです。本来の「友引」の意味は、孔明六曜では「相打ち共引きとて、勝負なしと知るべし」とされ、引き分けの意味で悪い意味ではなかったのですが、葬送の凶日凶方を知る「友曳方」とが、混同されて信じられたものといいます。同じように、例えば仏滅でも「物滅」の当て字であり、仏教の縁起とか「空」の教え、救済の論理とは全く無関係の存在である。なぜこのような迷信を信じるようになってきたのかと考えると、私は日本人が古来より無意識にもっている「言魂」(ことだま)信仰にあるのではないかと思われる。言葉に生命があり発生する音の響きが、日本人に連想を喚起させ行動を規制する働きがあるのではないだろうか。併せて識字率の低さから、字の意味より音の響きから混同して了解し、さらに転化させ誤解して普及していったものが信じられて来たのではないだろうか。今日では世界に誇る識字率である。仏教徒は迷信、習俗から脱却しなければならない。仏法を信じ行ずる人が仏教徒である。 
                                       (文責 小谷静良)
[一膳飯・茶碗割り]
 
 
亡くなった後、まず最初にお勤めする仏事は枕経(枕勤め)と言われるものがあります。その時に、枕元にお飾りをする御荘厳の中で、一膳飯というものを見ることがあります。お茶碗にご飯を山盛りにし、箸を突き立てたものです。そして葬儀終了後、出棺の時にはこのお茶碗を地面に叩きつけて割ってしまうという、まさに異様な行為とも思えるものです。なぜこのようなことをするのか。
 古くから死者の「霊魂」は、死後、家の中や私たちの回りをウロウロしていると考えられていました。そして、時には死者が生前に愛用していたものにとり憑くと、恐れられていたのです。それは死霊となった霊魂はまだ新しいので新霊(あらたま)といい、その言葉が荒霊(あらたま)と変化し、荒れて人々に害を及ぼすという理由であったそうです。そこで、「一膳飯」を作り、突き立てた箸がアンテナ替わりになり、霊魂をそこに呼び寄せ、そして最後のご飯を食べさせて、出棺にあたって、その茶碗を割り追放してしまうという、いささかむごい仕打ちとも思えることを平気でやってしまっているのです。愛用していたお茶碗を割ってしまうということは、もう帰ってくる所はないという意思表示でもあります。このマジナイ的な行為はその内容を知らないまま当然のようにされていることが大半です。しかし、考えてみれば、あれほど親しかった身内が亡くなったとたんに、荒霊となって私に害を与える悪魔に仕立て上げるのも、もう帰って来るなと追い出してしまうのも、この私なのです。亡き人を悪魔にするのか、それとも私を真実の教えに導いて下さる諸仏にするのかは、私たちのお葬式の姿勢を問われているようです。よく分からないお葬式のシキタリは、なぜそのようなことをするのかということに疑問を持つことが大切なことなのでしょう。知らずに「一膳飯やお茶碗割り」をしているからその時に追い出しておいて、お盆になると、ご先祖が帰って来るなどという歓迎ムードでお勤めしているということも矛盾ですよね。
                                        (文責 廣瀬 俊)

[六文銭・守り刀]

 
亡くなると死装束を着けて棺の中におさめられるというならわしがあります。両手には「手甲」(てっこう)、足には「脚絆」(きゃはん)を巻き、「白足袋」「草履」そして、首からは「頭陀袋」(ずだぶくろ)をかけます。その「頭陀袋」の中には「六文銭」といわれるものが入っています。これは三途の川の渡し賃に使われるためだといわれます。
 また、遺体にかけられた布団の上に「守り刀」といわれるものも置きます。これは亡者がトボトボとあの世に向かって旅をする途中に魔物におそわれた時の護身用という意味があるそうです。
 こうした習慣はそもそも仏教の習慣ではなく、日本の古い民俗信仰がベースになっていると指摘されています。
 なにか、亡き人のことを思うが故に「六文銭」も「守り刀」も用意しているようですが、やはり遺体に邪神悪神がとり憑くことを危惧し、魔よけの道具としての意味合いの方が強いのではないでしょうか。それこそ、厳粛に受け止めるべき「死」が、そのような迷信で希薄なものになって行きはしないでしょうか。
                                        (文責 廣瀬 俊)

[清め塩]
 

 お葬式において、一般的に「死」または「死に関わる」ことを「穢れ(けがれ)」と受け止め、忌み嫌うところから、清めの意味をもって「塩」が用いられています。「塩」は古来より防腐効果があるとされ、冷凍技術が普及する以前は保存食と言えば、塩漬けか干物にかぎられていました。
 そこで、その防腐物の浄化という意味が発展し、「塩」で死の穢れを清め、他の人へその穢れが移らないようにするという考えになったのです。
 日本神話に登場するイザナギが、亡き妻を黄泉国(死後の世界)へ訪ねていって、その腐敗の進んだ姿に恐怖するという話に代表されるように、わが国では死体の腐敗に対する恐怖心とそれを忌み嫌う風習が伝えられてきたのです。
 しかし、「塩で清める」ということは、厳粛に受け止めるべき「死」を穢れとして覆い隠してしまい、ますます「死」という問題が見えにくくなってしまいます。現代社会において、家で亡くなるということが少なくなっている中にありながら、今まで一緒に暮らしていた身内が亡くなって帰って来たとたんに、穢れているという扱いはあまりにも悲しいことです。それはまさに問い詰めれば「いのちの軽視」と言えます。私たちが死から目をそらすのではなく、死と向かい合うことで自身のこれからの生き方を考える機会を与えられているのではないでしょうか。
                                    (文責 廣瀬 俊
                                    

[中陰]

〈四十九日が三月に渡る〉

 梵語(アンタラーバヴァ)《宙に舞う》の旧訳が中陰、新訳が中有である。人が生まれる時を生有と呼び、本来の生活期間を本有と呼び、死ぬ時を死有と呼び、死後七七(しちしち)四十九日間を中陰(中有)という。特に最終日を満中陰と名付けた。この期間中、各七日ごとに亡者の冥福を祈念し、追善法要を執り行ない、最終日の満中陰では、亡者の冥福と成仏を祈念する大法要を盛大に執行してきた。
 では、なぜ三月(みつき)に渡る中陰法要は忌み嫌われたのか、四は死・九は苦、三月(みつき)は身に着くという言葉の連想から「言魂」《ことだま》信仰を絡まり発展し、四十九日も始終苦《しじゅうく》と結ばれ、三月(みつき)に渡ることが身に着くと考えられたものと推察できるのである。もう一つの側面として、社会の発展と、経済の拡大が、時間的な余裕を与えない状況から、阻害する理由の一つとして、“短縮化”を図る為に考案されたかも知れない。原因や理由が潜在化され不明確でも、なお人々の間で支持され、信じられて来たのは効率化を図り、短縮したいという人々の希望の表現であるのではないか。これが五七日(ごなぬか)三十五日中陰説由来である。
                                        (文責 小谷静良
トップページに戻る