名 前 浪花之市聖(なにわのいちひじり) 小谷 静良(おせ せいりょう) 寺院名 真言宗 高野山別格本山 福智院 法務執行代理 僧伽聖 大師堂(さんがひじり だいしどう) 住 所 大阪市東住吉区桑津四丁目五番十四号 T E L 06−6719−3160 F A X 06−6719−2408 |
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《私の葬儀哲学》 浄土に旅立つ貴方へ。《人は必ず死す》。 貴方は、生命が尽き果てるまで、貴方の出来る事を精一杯に頑張ってこられました。私は、貴方を浄土に旅立たせる導師として、貴方の生涯賭けてきた遺志を継承し、人々に伝えていくことを御仏に誓願いたします。今その為に必要な事は、貴方御自身の、生涯賭けてこられた痛切な想いである遺志を、御仏を“縁”として、私に告げて頂き、私は全身全霊で受けとめて“体認”しなければなりません。そして、貴方御自身が見届けられましたら、安心して頂けます。それが出来るのは“今”なのです。貴方御自身の意識が明確に示せる時こそ、是非、私にお知らせください。私は貴方を、安心して浄土へ、“引導”させて頂きます。万が一、貴方の魂が地獄に陥るなら、私が身代わりになります。 《正しい葬送の形態》 葬儀の導師と、故人が生前中に“仏縁”で結ばれている事が一番望ましい。更に尚、故人の家族、親族、友人等とも同じ“仏縁”で結ばれている事が宜しいように思われる。何故ならば、一人の生命は、限られているが、仏縁を等しくし、永遠に継承される共同生命意識で共有されるならば、個人の限定された生命も、無数の全体生命意識を味わい尽くすことも可能となり、限りある生命を充分に発揮する事が出来るであろう。故に恐れるものは何一つ無くなり、自然に自己の仏性に沿った“生”そのものを生き抜くことができる。その前提として、生前中に葬儀執行導師の選択と交流、共同生命意識を培養しておかなければならない。己の能力と、個性に随った形態で導かれます。 《フリースペース》−家より私の信仰− “家”の宗教は江戸時代に成立しました。日本の夫婦の歴史は別姓であり、信仰も自由でありました。今日の憲法二十条でも、信仰の自由は認められています。しかし、自由に発揮されておりません。各教団の教祖は、己の信念で仏法を説いてきました。しかし、家の宗教に成り下がったときから、仏法より為政者に重きを置いてきました。今、仏法を蘇らせるのは貴方なのです。 《自己アピール》 在家出身、十五歳で出家、三十歳で高野山を下山し、非僧非俗のナニワの市聖(いちひじり)として五十六歳を迎えます。般若心経の精髄、理想共同体である“彼岸”へ、人々と一緒に渡る事を眼目としています。 限りある/命はてなん/その日まで/聖なる道を/只歩むのみ。 みほとけの/えにしで結ぶ/君と我/旅立つ君の/夢つぎ渡す。
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葬儀のお布施 〈故人又は喪主、施主の年間所得の約1割を戒名を含めて財施して頂いております〉 僧侶員数自由 (例) 戒名、信士・信女の場合 総合計25万円以上 上限無し。(導師1人のみ) |
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下記の場合、大師堂浪花之市聖小谷静良が納得しました依願信徒のみ執行します。 | |||||||||||||||||||||||||
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