名 前 廣瀬 俊(ひろせ すぐる) 寺院名 法 觀 寺(真宗大谷派−お東) 住 所 東大阪市御厨三丁目五番十八号 T E L 06−6781−8537 F A X 06−6785−4650 |
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《私の葬儀哲学》 “死に支度/いたせいたせと/桜かな” とは小林一茶の詠んだ句。私たちは生まれる時、男か女かと一喜一憂し出産の準備をします。また、結婚もそうでしょう。式のリハーサルや、衣装選びにとまさに入念な支度をいたします。しかしそれが“死”ということについてはどうでしょう。あまりにも無頓着と言えるかもしれません。勿論“死”は突然やって来るものですから、一茶の言うような死に支度など何も出来ないと言えるかもしれません。しかしその陰には“死”を遠ざけ、自分とは関係のないものとしている私がいるのではないですか。だから亡くなったとたん慌ただしく、“シキタリ”の渦に巻き込まれ、その悲しみさえ実感できないままということがよくあるのです。 「葬儀」とは“いのち”のバトンを渡すということ。その人生の締めくくりに、貴方は子供や孫にまた縁のある人達に何を伝え、何を残しますか。また愛すべき人の葬儀に参列し貴方は何を受け取りますか。土地や財産や名誉ではなく、その為に流された汗と涙が“いのち”のバトンとなって、必ず死んで逝くその“いのち”の生と死を見つめ直す大切な時が「葬儀」なのです。だからこそ、一茶は自分とは関係のないものではなく、“死に支度をいたせいたせ”と勧めているのではないでしょうか。 《葬儀の形態》 まず一般的な葬儀の形態を“知る”ということが大事でしょう。それが自分にとって納得のいくものなのかどうか。そのためには、お寺や近親者、友人などと相談することが必要です。いろんな人の“死”に対する考え方を“聞く”ということで今まで見えていなかった“生と死”の問題を問い直す機会にもなるでしょう。個性的な葬儀をすることに意義があるのではなく、話し合い語り合うことの中で自分にとって納得のいく葬儀の形というものを見つめることに意義があるのです。 《フリースペース》−いのちのバトン− 釈尊の遺言に「自灯明、法灯明」というものがあります。釈尊が死に行く際に残る弟子たちに「自らをともしびとし、他をともしびとすることなかれ」と言われたと伝えられています。それは「自分自身で物事をしっかりと考えられる人間になって下さい」ということでしょう。そしてそれは仏の教えとして今現在もしっかりと受け継がれています。私たちが“今”生きているということは、遠い過去より受け継がれ引き継がれてきた“いのち”を生きているということです。 “過去無量の いのちのバトンを受け継いで 今ここに自分の番を生きている それがあなたのいのちです それがわたしのいのちです”とこれは相田みつおさんの詩の一節。過去より流れている“いのち”の中で、今やっと自分の順番が回って来た。その“いのち”をどのように生きますか。そして、バトンを受け取ったということは、釈尊の言葉が受け継がれるように貴方のバトンもまた次ぎに渡さなければなりません。さて、どんなバトンを渡しますか。それが私たちにとっての最も大きな課題なのでは。 《自己アピール》 1966年生まれ。まだまだ若輩者の河内の坊さん。2000年に住職になったばかりの新米です。現在 “お寺をもっと開かれた場に” を合言葉に仏教落語を自ら創作、「念仏道楽」 「法事ンピック」などなど、プロの落語家さんにお寺の本堂で演じてもらい “笑いながら仏教に触れよう”という作戦を展開中。 |
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[お葬式お布施(例)タイプ別] | ||
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枕経・通夜勤行・葬儀勤行・火屋勤行・還骨勤行 15万円 初七日〜六七日 各5千円 計 3万円 満中陰法要(七七日) 3万円 合計21万円 |
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枕経・通夜勤行・葬儀勤行・火屋勤行・還骨勤行 15万円 伴僧のお布施(葬儀勤行のみ) 6万円 初七日〜六七日 各5千円 計 3万円 満中陰法要(七七日) 3万円 合計27万円 |
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枕経・通夜勤行・葬儀勤行・火屋勤行・還骨勤行 15万円 脇導師2人のお布施(葬儀勤行のみ)各8万円 計16万円 初七日〜六七日 各5千円 計 3万円 満中陰法要(七七日) 3万円 合計37万円 |