ハ ワ イ 報 告(5)

清 史 彦

 

13.祈りのことば

 □みんなで輪をつくって、今日いっしょにみんなといることを、再確認して喜び合って、ひとつの共有しているものを分かち合って、各々の場でそれぞれの夢に向かっていけますように………。

□ここに皆が集まれたことを祖先に感謝します。
それぞれの場は、少し異なっているけれど、各々の夢、目的の根っ子は共通している。
そんな共有の構想に向けて、その仕事を全うしていけるよう力を貸して下さい………。

 □今日の食べ物を育ててくれた土地と人々。食べ物によってつながっている、私たちの生命と大地と自然。
 天と地の恵みを受け、広大なる祖先の精神をこの身に抱き、今日もまた私の魂の呼び声に従って生きることを誓います。アーメン。

 


食前の祈りを唱える

 農場のゲストハウスの食堂とか、出掛けた先で何度か多人数で食事をしました。
その度に、皆で手をつなぎあって長いお祈りをとなえます。
意味はだいたい上記のようなものです。
静かに心を澄ませて太い低い祈りの言葉を聞いていますと、英語ですから十分には意味は取れませんけれど、何かジーンとしてきます。
心の底からじわっとした感動が湧いてきて、不思議なものでした。

日本へ戻ったら「いただきます」だけで簡単に済ましていますが、「いただきます」も本来はこの祈りのようなものなのでしょう。

 

14.フェアウェルパーティ(さよなら)


ポーズする和田稠

 

 農場での最後の夜。お別れのフェアウェルパーティが持たれました。
例によって長いお祈りの後の食事、そして演し物が始まりました。
ハワイの人達はもちろんハワイアン音楽とフラダンスを披露してくれました。

 

 今度はゲストである私たちの番です。
沖縄の金城実さんは、沖縄民謡とハーモニカを披露されました。
和田稠先生は、若い男女の恋を歌った日本民謡を歌われました。
そして遂に若い者(といっても私を含めみんな三十代から四十代ですが)の順番になりました。
が、歌う唄がありません。
この場でこの流れで、ニューミュージックでもないでしょう。
ましてビートルズでは、もっとお間抜けです。
周りから私に向かって「大阪やろ、河内音頭やれよ」と声がかかりましたが、本当に残念なことにチャンとは歌えません。

もっと度胸があれば適当にできたのでしょうが、なにぶん日本人的シャイときては、出来るはずもありません。
かくして、日本人若手組は沈黙せざるをえなくなってしまいました。
今回のハワイ旅行では、いろんなことに触れることができましたが、この夜の出来事が一番大きな体験でした    



子供と抱き合う藤森

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15. ハワイから近代日本が観えた

最後の夜の出来事で、いかに私たち現代日本人が「日本の文化」を失っているかを思い知りました。
ハワイの人たちが、自分たちの伝統的な文化を復興させることによって自分たち自身の主体性を確立しようとされていることに触れて、思い知らされたのは、それらを喪失した私たちの姿でした。


フラダンス

歌でいえば、私自身子供の頃、民謡を聞くと「古くっさいもの」というマイナスイメージしか持ちませんでした。
そして英語の歌などは「カッコいい」と思ったものでした。否、そう思わされていたと今なら言うべきでしょう。

 そして、こんな事を大阪に戻ってからいろんな人としゃべっていますと、ある人が「そういえばこんな話を聞いたことがある」と、外国へ留学したある学生のことを話してくれました。
ある日各国から来た学生が集まってお国自慢を始め、それぞれの国の歌を歌うことになり、その学生が日本の古い歌だと思って歌うと「それは日本じゃあないドイツの歌だ」と言われたそうです。

そう聞くと、私たちが小学校で教わった曲には外国の歌がたくさんあります。
「庭の千草」「蛍の光」「仰げば尊し」等々。明治以来の文部省唱歌です。
 明治の時に「和魂洋才」とか適当なことを言って、伝統文化を破壊し、さらに、昭和の戦後はアメリカにとことん従属して、日本文化をないがしろにしてきた。その結果が今の私たちの姿ではないでしょうか。


夕日に映える山(ゲストハウスより)

 

と、こんな事を言うと必ず「日本の伝統は皇室だ」なんていう声が出てきますが、
皇室が日本の伝統だと言うなら、あの鹿鳴館みたいな夜会服などは、止めて貰わねばなりません。
和服か、もっと戻って大陸的な束帯でしょうか。

要はええかげんなところで「伝統」を言っているだけなのです。
そういう意味では、日本の伝統は歌でいえば、やはり民衆の労働歌である民謡ではないでしょうか。
 ということで私の今年の抱負は「河内音頭」を覚えることになったのです。

 

16. 真の独立者になれ
   (日本あるいは日本人について)

 ハワイの人々や文化や米軍基地や種々の物事に触れて、まさに日本が観えてきました。
ある人が「日本はアメリカの植民地である」と言われましたが、誠にその通りです。
世界のまともな国で外国の軍隊が堂々と駐留している国なんてそうありません。
一般には日本より大きく遅れていると思われているフィリッピンでさえ、米軍基地を追い出しました。
なのに我が日本は米軍のために、何千億円ものお金を「思いやり予算」などと言って出しています。
地震の被災者にはビタ一文出さないくせに。
「米軍は日本の番犬として置いているのだ」というような詭弁もありますが、本当だとはとても思えません、それは経済的分野を見ればよくわかります。

 汗水たらして働いて稼いだドルでアメリカの国債を買った(買わされた)あげく、ある時とつぜん「円高」というドルの切下げで国債の値打ち(円換算)を半額にされ、結局、稼ぎの半分をアメリカに吸い上げられています。
それでも文句も言わず、予算編成までアメリカにお伺いを立て、首相が替われば、参勤交代のようにワシントン詣でです。これでも植民地ではないと言えるのでしょうか。

 


農場に咲く花

そろそろ独立が必要でしょう。
しかしそれは何処かと喧嘩して勝ち取るようなものではないと思います。
アメリカ的価値観で力をつけて他に勝ってというあり方ではなく、まさにハワイの人達のように自分たち自身の主体的文化(アイデンティティ)を確立し、貧しくともよい「美しい」日本、日本人になることこそが、真の独立ではないでしょうか。

それは同時に日本人一人一人が、自分自身の道を本当に選ぶという真の独立者になるということと等価でしょう。

(了)

 

 

*********『ハワイ報告』おわり*********

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